平成19年(ワ)第279号
原告 I

被告 昭和電工株式会社

準備書面 1

2008年7月10日

新潟地方裁判所 第2民事部 御中

原告ら訴訟代理人 弁護士  郄(高)島 章

同 弁護士  大田陸介

同 弁護士  小野坂 弘

高(郄)島章訴訟複代理人 弁護士  鷲見一夫

原告ら訴訟代理人 弁護士  辻澤広子

同 弁護士  西埜 章

同 弁護士  宮本裕将



第1 はじめに
1 この準備書面においては,被告国・被告県の国家賠償責任(規制権限の不行使)について主張する。

判例
 国又は公共団体の公務員による規制権限の不行使は,その権限を定めた法令の趣旨,目的や,その権限の性質等に照らし,具体的事情の下において,その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは,その不行使により被害を受けた者との関係において,国家賠償法1条1項の適用上違法となる(最高裁平成元年11月24日第二小法廷判決・民集43巻10号1169頁,最高裁平成7年6月23日第二小法廷判決・民集49巻1600頁参照)。
 以下,上記判例を踏まえて,それぞれの被告の権限不行使(不作為)について主張するものである。

第2 被告国の作為義務違反
1 作為義務の発生根拠及びその内容(水質二法)
(1)  発生根拠
 いわゆる水質二法(公共用水域の水質保全に関する法律及び工場排水等の規制に関する法律。以下前者を「水質保全法」,後者を「工場排水規制法」といい,両者を併せて「水質二法」という)は,昭和33年12月25日に公布され,昭和34年3月1日に施行された。
 水質保全法は,公共用水域の水質の保全を図るなどのために必要な事項を定め,もって産業の相互協和と公衆衛生の向上に寄与することを目的とするものであり(同法1条),工場排水規制法は,製造業等における事業活動に伴って発生する汚水等の処理を適切にすることにより,公共用水域の水質の保全を図ることを目的とするものである(同法1条)。

(2) 国に課せられた作為義務の内容
 水質二法は,上記の目的を達成するために,概略次のような規制を定めている。
 まず,経済企画庁長官は,公共用水域のうち,水質の汚濁が原因となって関係産業に相当の被害が生じ,もしくは公衆衛生上看過し難い影響が生じているものまたはそれらのおそれがあるものを「指定水域」として指定するとともに(水質保全法5条1項),当該指定水域に係る「水質基準」を定めるものとされている(同条2項)。水質基準とは,「特定施設」を設置する工場等から指定水域に排出される水の汚濁の許容限度であり(同法3条2項),特定施設とは,製造業等の用に供する施設のうち,汚水または廃液(以下「汚水等」という)を排出するもので政令で定めるものである(工場排水規制法2条2項)。また,主務大臣は,工場排水の水質が当該指定水域に係る水質基準に適合しないと認めるときは,これを排出する者に対し,汚水等の処理方法に関する計画の変更,特定施設の設置に関する計画の変更等を命ずること(同法7条),汚水等の処理方法の改善,特定施設の使用の一時停止その他必要な措置を執るべきことを命ずること(同法12条)等の,特定施設から排出される工場排水に関して規制を行う権限を有するものとされており,主務大臣の上記命令に違反した者は,罰則を科される(同法23条)。

2 水質二法による規制権限行使の要件の充足
 以下に述べるとおり,被告国は遅くとも昭和35年までに水質二法に基づく規制権限を行使すべき作為義務があり,昭和35年1月以降,この権限を行使しなかったことは著しく合理性を欠くものである。

(1) 予見可能性
ア カーバイド残滓捨場崩壊による多量の魚の死亡
 詳細は後記に述べるとおりであるが,昭和34年1月2日,昭和電工鹿瀬工場の裏手のカーバイト残滓捨場が崩壊し,これが阿賀野川に流出して,多量の魚が死滅した(甲A4〜8)。この事故を知った段階で,被告国は水俣病の発生の危険を予見すべきであった。後述のように,この時点では,水質二法は,まだ施行されていなかったが,施行までの2ヶ月間に適用に向けての準備をすべき時期であり,重大な事件として大々的に周知されたものであり,特別な調査をすることなく,認識し得たものである。したがって,この事件を踏まえ,同法施行後,規制権限を行使するきっかけとすべきことは明らかであり,被告国は,遅くとも同年12月末以降は,水俣湾についてと同様に,阿賀野川についても水質二法上の規制権限を行使すべきであった。

イ 昭和34年11月10日付け通達の関係
 通産省軽工業局長は,昭和34年11月10日付けをもって,被告昭和電工を含めたアセトアルデヒド製造関係及び塩化ビニール製造関係の会社に対し,秘密裡に,「工場排水の水質調査報告依頼について」と題する通達を発し,その報告を求めた。被告昭和電工鹿瀬工場では,この通達を受けた後,製造部長が有機関係の係長以上の技術者を集め,水俣病の原因についてチッソ水俣工場が疑われていることなどを討議したが,そのことで格別の措置をとることはなかった(新潟地判昭和46・9・29判時642号96頁(158〜159頁)。なお,板東克彦「新潟水俣病訴訟」ジュリスト臨時増刊『特集 公害 実態・対策・法的課題』(1970年)159頁参照)。被告国が,この時点で詳細な調査を指示し,また自らも情報を積極的に入手していれば,早期発見に繋がったものである。

ウ 多数の猫の狂い死にの事例
 阿賀野川近辺の漁師の家では,昭和39年6月の新潟地震の前から「猫の狂い死に」が多く見られた(斉藤恒「新潟水俣病闘争の教訓」ジュリスト臨時増刊『特集 公害 実態・対策・法的課題』(1970年)108頁)。これに注目していれば,熊本水俣病を連想することはそれほど難しいことではなかったはずである。
エ さらに,詳細は後記の通りであるが,その他,同法施行前の数年間において,以下に列記する各事実が生じており,これらはいずれも被告国が認識していたはずである。むしろ水質二法の制定についてのある種の立法事実であり,被告国は同法の規制権限を行使すべきであった。

(ア)  沿岸漁民による阿賀野川汚染の発見
 昭和21年ころから,被告昭和電工鹿瀬工場(以下単に「鹿瀬工場」ともいう。)による阿賀野川汚染の事実が沿岸漁民によって発見されるようになった。

(イ) 昭和32年9月25日の覚書 
 昭和32年9月25日,阿賀野川漁業協同組合協議会(以下「漁協協議会」という。)の被害訴えにより,被告新潟県は,被告昭和電工鹿瀬工場との間で,覚書(以下「昭和32年の覚書」という)を交換している(甲A4号証)。被告昭和電工鹿瀬工場は,この覚書に基づき,漁協協議会に対し,50万円を支払っている(甲A4号証3枚目)。

(ウ) 昭和34年4月25日の覚書
 漁協協議会は,上記廃棄物捨て場の決壊により,阿賀野川に流れ込んだ毒水のため魚が全滅した被害について,被告昭和電工に対し,補償要求をし,昭和34年4月25日,被告昭和電工と漁協協議会,その他各地区漁業協同組合との間で,上記補償要求について,覚書が交換されている。被告昭和電工は,上記覚書により,漁族被害等補償金として2400万円を支払うこととなった。また,上記覚書第二項には,「昭和電工鹿瀬工場は,昭和32年9月25日付覚書の第二,第三項については誠意をもってこれが解決に当たるものとする。」と記載されており,覚書が交わされた当時,鹿瀬工場の残滓並びに汚濁水の処理については被害の虞なきよう適切な措置を講ずることが要請されていた。上記覚書は,被告新潟県が仲介に入って妥結したものであり,新潟県副知事が,覚書の立会人となっている(甲A8号証)。
(エ) 熊本県水俣病発生と原因究明,国会での議論
a  昭和31年5月1日,水俣保健所は,新日本窒素肥料株式会社(以下「新日窒」という。)水俣工場附属病院から奇病発生の報告を受け,調査した結果,昭和28年ころに既に同様の症状を呈する患者が発生しており,他にも多数の患者の存在が観察された。
 そこで,水俣保健所を中心に奇病対策委員会が設置されたが,同委員会は,同年8月14日,国立大学である熊本大学医学部に調査研究を依頼した。
b  同年8月24日,熊本大学医学部では,水俣病医学研究班(以下「熊大研究班」という。)を組織し,調査・研究を開始した。そして,同年11月4日,同研究班は,「この奇病(水俣病)は,ある種の重金属による中毒と考えられ,その中毒物質としてマンガンが最も疑われ,人体への侵入は主として水俣湾産魚介類によるものであろう。」との中間発表をした。
 この報告を受けた熊本県衛生部は,翌昭和32年2月26日「水俣湾の魚介類を摂食すると危険である」旨を発表し,現地の住民に対して行政指導をした。
c  昭和34年1月16日,厚生省は,水俣病の原因についての総合的研究を推進する目的で,厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会に,特別部会として水俣食中毒部会を発足させた。
d 同年7月22日,熊大研究班は,「水俣病は現地水俣湾産の魚介類を摂取することによって惹起された神経系疾患で,魚介類を汚染している毒物としては,水銀が極めて注目される。」と報告し,この結果は,翌23日に報道された(以上につき,新潟地裁昭和46年9月29日判決(水俣病第1次訴訟第一審判決)判例時報642号117頁〜118頁,新潟地裁平成4年3月31日判決(水俣病第2次訴訟第一審判決)判例時報1422号45頁)。
e  同年10月21日,通商産業省(以下「通産省」という。)は,新日窒に対し,ア)アセトアルデヒド製造工程からの排水の水俣川河口への放出中止,イ)排水浄化装置の年内完成を指示した(甲A1号証,45頁新潟水俣病関係年表)。
f 同年11月12日,食品衛生調査会は,水俣食中毒部会での中間報告を基に水俣食中毒の原因について同日付けで厚生大臣に対して答申を行った。答申の結論は,「水俣病は,水俣湾及びその周辺に生息する魚介類を多量に摂食することによって起こる主として中枢神経系統の障害される中毒性疾患であり,その主因をなすものはある種の有機水銀化合物である。」というものであった(新潟地裁平成4年3月31日判決(水俣病第2次訴訟第一審判決)判例時報1422号45頁〜46頁)。
g 通産省は,同年10月末から11月にかけて,厚生省公衆衛生局長,水産庁長官等から,親日水俣工場の排水に対して適切な処置を至急講ずるよう求める旨の要望を受けたので,親日窒の社長あてに文書を送付して,一刻も早く排水処理施設を完備することなどを求めた(最高裁第二小法廷平成16年10月15日判決(水俣病関西訴訟上告審判決),判例時報1876号8頁)。

h 国会での議論
(a) 上記の熊本県での水俣病の発生,原因究明の経過については,昭和32年3月7日の参議院社会労働委員会(甲A9号証,第26回参議院社会労働委員会会議録第6号,8頁〜16頁),同年9月12日の同委員会(甲A10号証,第26回参議院社会労働委員会(第26回国会継続)会議録第6号,8頁〜12頁),同33年6月24日の同委員会(甲A12号証,第29回参議院社会労働委員会会議録第2号,18頁〜29頁),同年10月16日の衆議院社会労働委員会(甲A12号証,第34回国会衆議院社会労働委員会会議録第7号,10頁〜11頁)において水俣病が社会的な問題として取り上げられ質疑答弁が行われている。
(b) 昭和34年10月22日,衆議院農林水産委員会において,福永一臣委員が質問の中で以下の発言をしている(甲A13号証)。
 「水俣には御承知の通り水俣湾に臨んで新日本窒素肥料株式会社の工場がございまして,その工場から出てくるところの工場排水が原因であるというのが実は一般の常識になっておるのであります。」,「それから,一つには工場の監督を強化してもらって,そうして,この原因の究明ができないから工場の監督をゆるがせにするとかほったらかすということではなくて,監督官庁はこれに対してまして一つ強い監督をしてもらう。」(7頁3段目〜4段目)
 また,福永委員は,「新日本窒素肥料株式会社の監督の衝に当たられる通産省としてそういう事実を知っておられるかどうかを伺いたい」と質問している。この質問に対し,通産省の藤岡説明員は,知っているかどうかについては,「新聞雑誌等にもありますように相当広範囲に流布されており,現地から報告等も参って」いる(9頁4段目)と答弁している。そして,高田説明員は,「一応工業用水も危険であると考え,」,「できるだけこの水からは考えられる害物が出ないようにしたいという指導をしております。」と答弁している(同頁5段目)。 さらに,川村継義委員は,全国の新日窒のような工場数を質問し,高田説明員は,水銀を使うのは,アセトアルデヒドを生産する段階と塩化ビニールモノマーを作るときの段階で,全国で,アセトアルデヒドを生産する工場は7工場,塩化ビニール関係は14工場あると答弁している(同13頁5段目)。
(c) 昭和34年11月19日,参議院社会労働委員会において,通産省の藤岡大信説明員は,水銀を使っている全国の工場にわたって大体の調査をしたところ,汚水処理の段階はあまり変わっていないようであると答弁している(甲A14号証3頁3段目)。さらに藤岡説明員は,新日本窒素肥料株式会社に対し,上記「e」の指示をし,上記「g」の文書を送付したことを答弁している(同4頁1〜2段目)。
i  したがって,被告国は,水俣病が社会的な問題として大々的に報道され,上記のとおり国会でも議論され,所轄の厚生省,通産省水産庁等においては十分な情報を得ていたものであり,,アセトアルデヒド製造施設からの工場排水により,水俣湾又はその周辺海域の魚介類を摂取した住民の生命,健康等に対する深刻かつ重大な被害が生じていることを,当然熟知していたはずである。
j
(2)  権限の不行使
ア 新潟水俣病の発生・拡大について,被告国は,昭和35年以降,全国の同種の製造施設を調査しておれば,危険が切迫していることを予見することは十分可能であったし,適時かつ適切に規制権限が行使されていれば,被害の発生・拡大は回避可能であったのである。昭和40年6月16日の県衛生部長による「有機水銀中毒症の原因は阿賀野川の川魚によるものと推定される」との正式発表があった後も,被告昭和電工に対して何らの措置も執らなかったというのは,重大な過失であるというべきである。
 厚生省は,昭和40年12月,各都道府県に対する書面調査により全国の水銀使用工場のリストアップを行い,およそ194の工場が水銀を使用していることを把握し,昭和41年公害調査委託研究費によって,このうちカーバイト法によってアセトアルデセヒドの製造を行っている3工場について,製造工程,排水,環境等を精密調査した。その結果,工程中にはメチル水銀化合物が生成されているが排水処理を行っているので,排水中にはメチル水銀化合物は検出されないが,絶えず環境汚染について注意する必要がある,ということであった。阿賀野川有機水銀中毒事件について,被告昭和電工鹿瀬工場の工場排水に含まれたメチル水銀化合物による魚介類の長期継続的汚染がその発生の基盤をなしたとの最終見解が科学技術庁から発表されたのは,ようやく昭和43年9月26日になってからである。
イ このように,常識では考えられないような調査・措置の遅さ・杜撰さが水俣病の発生,拡大を招いたのである。それは当時の政府・行政の体質であって,担当者の責任問題に発展することもなく,また,被告昭和電工側の刑事責任が問われることもなかった。むしろ,被害者の抗議行動に対して警察的介入があったといわれているくらいである。

(3) 権限不行使の不合理性について
ア 水俣病関西訴訟の前掲最判平成16・10・15によれば,上記の規制権限は,当該水域の水質の悪化にかかわりのある周辺住民の生命,健康の保護をその主要な目的の一つとして,「適時にかつ適切に」行使されなければならない。また,同判決によれば,昭和34年11月末の時点で,?水俣湾またはその周辺海域の魚介類を摂取する住民の生命,健康等に対する深刻かつ重大な被害が生じ得る状況が継続していた,?現に多数の水俣病患者が発生し,死亡者も相当数に上っていることを認識していた,?水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であり,その排出源がチッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造施設であることを高度の蓋然性をもって認識し得る状況にあった,?チッソ水俣工場の排水に微量の水銀が含まれていることについての定量分析をすることは可能であった,?同年12月末の時点で,水質二法に基づく規制権限が行使されていれば,それ以降の水俣病の被害拡大を防ぐことができた,ということである。そして,結論として,同判決は,「本件における以上の諸事情を総合すると,昭和35年1月以降,水質二法に基づく上記規制権限を行使しなかったことは,上記規制権限を定めた水質二法の趣旨,目的や,その権限の性質等に照らし,著しく合理性を欠くものであって,国家賠償法1条1項の適用上違法というべきである」と判示している。
 上記の最高裁判決は熊本水俣病に関するものであるが,訴状において述べたように,同判決の説示は新潟水俣病においても等しく妥当するものである。
 被告国は,昭和34年11月末の時点で「水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であり,その排出源がチッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造施設であることを高度の蓋然性をもって認識しえる状況にあった」(水俣病関西訴訟の前掲最高裁判決)のであるから,それ以降直ちに全国の同種の製造施設からの排出を調査し,規制権限を行使すべきであったのに,それを怠ったものというべきである。直ちに一定の措置(調査,規制権限行使,行政指導等)を講じておれば,新潟水俣病の発生・拡大を防止できたはずである。確かに,前述のように,通産省軽工業局長は,昭和34年11月10日付けをもって,被告昭和電工を含めたアセトアルデヒド製造関係及び塩化ビニール製造関係の会社に対し,秘密裡に,「工場排水の水質調査報告依頼について」と題する通達を発し,その報告を求めてはいるが,それ以上に何ら具体的措置を講じてはいない。
イ 新潟水俣病第2次訴訟判決(新潟地判平成4・3・31判時1422号39頁)は,水俣病の原因解明の時期を著しく遅く捉えている。同判決は,「昭和36年末以前には,水俣病の原因物質並びにその発生及び生成過程は明らかではなかったので,被告国はこれらを知ることはできなかったものと認められ,したがって,被告昭和電工水俣病原因物質の排出に加担したとみる余地はないものといわざるを得ない」と判示している。新潟地裁判決のこのような捉え方は,水俣病関西訴訟の最高裁判決によって完全に否定されたものと解すべきである。

3 まとめ
 上記のような状況の下においては,規制権限行使の要件である危険の切迫性,予見可能性,回避可能性,補充性,国民の期待,の各要件はすべて充足されており,その不行使は違法と評価されるべきである。

第3 被告新潟県の責任(漁業調整規則上の責任)
 被告新潟県新潟県内水面漁業調整規則に基づく規制権限不行使の責任があること及び被告新潟県答弁書第6の4求釈明の申立てに対する釈明は,以下のとおりである。

1 新潟県内水面漁業調整規則21条
(1) 漁業調整規則21条
 昭和34年当時,新潟県内水面漁業調整規則(昭和26年新潟県規則第89号。以下,「調整規則」という(甲A2号証。なお,この規則は,昭和47年新潟県規則第93号により廃止された)が存在し,同規則21条1項は,水産動植物に有害な物を遺棄し,又は漏せつするおそれがあるものを放置することを禁じ,2項は,1項の規定に違反する者がある場合に,知事が,水産動植物の繁殖保護上害があると認めるときは,その違反者に対して,除害に必要な設備の設置を命じ,又は既に設けた除害設備の変更を命じうる権限を付与していた。
 調整規則21条1項又は2項の命令に違反した者に対しては,罰則が科される(同規則37条)。

(2) 調整規則の目的
 調整規則21条は,熊本県漁業調整規則(昭和26年熊本県規則第31号)32条(甲A15号証)とほぼ同じ規定である。熊本県漁業調整規則の関連規定は,以下のとおりである。
 1951年(昭和26年)施行
(漁業調整等による許可の変更等)
第30条
 知事は,漁業調整その他公益上必要があると認めるときは,許可の内容を変更し,若しくは制限し,操業を停止し,又は当該許可を取り消すことができる。
(有害物の遺棄等の禁止)
第32条
 何人も,水産動植物の繁殖保護に有害な物を遺棄し,又は漏せつ虞があるものを放置してはならない。
2 知事は,前項の規定に違反する者があるときは,その者に対し,除外に必要な設備のを命じ,又はすでに設けた除外設備の変更を命ずることができる。
 調整規則は,内水面における水産動植物の繁殖保護,漁業取締その他漁業調整に関して定められたもので(同規則1条),水産動植物の繁殖保護等を直接の目的とするものではあるが,それを摂取する者の健康の保持等をもその究極の目的とするものであると解されている(最高裁第二小法廷平成16年10月15日判決(水俣病関西訴訟上告審判決),判例時報1876号11頁)。
 この調整規則の目的にかんがみると,調整規則21条が適用される典型例は,直接,水産動植物を斃死(へいし)させ,その成長を阻害し,又は産卵や種苗等の育成に悪影響を及ぼす場合であるが,本件のように魚介類を摂取することによって人体被害が発生し,魚介類等の水産動植物をしてその水産資源としての価値を損ねる場合にも,その適用がある(大阪高裁平成13年4月27日判決(水俣病関西訴訟控訴審判決),判例時報1761号22頁)。

2 調整規則21条による規制権限行使の要件の充足
 以下に述べるとおり,新潟県知事には,遅くとも昭和34年12月末までに調整規則21条に基づく規制権限を行使すべき作為義務があり,昭和35年1月以降,この権限を行使しなかったことは著しく合理性を欠くものである。

(1) 沿岸漁民による阿賀野川汚染の発見
 被告昭和電工鹿瀬工場(以下単に「鹿瀬工場」ともいう。)による阿賀野川汚染の事実が沿岸漁民によって発見されたのは,昭和21年ころからであった。新潟水俣病第1次訴訟の原告らの第5(最終)準備書面では,以下のとおり述べられている(甲A3号証)。
 「昭和21年11月半ば頃だったと思います。赤煉瓦を粉にしたような水が流れてきたんです。昼間漁をしていた人も赤水がきて鮭も不漁だったといって川からあがりました。私らも晩12時までやったていましたけれども一本も網に入りませんでした(五十嵐栄一,第1回調書)。
 沿岸漁民が「昭電の毒水」「鹿瀬の赤水」と呼んだ明白な汚染は,その都度水量豊かな阿賀野川本流一面を侵してまったくの不漁をもたらし,少なくとも昭和40年ころまで毎年数回以上にわたって続けられていたのである。
 34年以前も毒水はちょいちょい流れてきました。その後は白水に川面に浮かない油かす様のものがよたよた混って,網につくと振っても落ちませんでした。漁期中だけでも5回くらいずつ流れてきました。とにかくその水が来ると3日くらいは魚がとれないで仕事を休むことが往々あったのです(桑野忠吾,第1回調書)。川水毒水か? 不漁(甲第86号証),米のとぎ汁のような白水が川全体に流れてきて魚が全然はいらなかったんです(近(こん) 喜代(きよ)一(いち),第1回調書)。」(同235頁1段目〜2段目)。
「三 桑野忠吾   私は,被告のような作り話でなく,昭和4年から阿賀で専業として漁業を営んできたことを話します。いま大野太郎さんが言われた34年よりずっと前から私は被害を受けて来ました。昭電はそれより約10年くらい前から,白い濁りあるいは赤茶けた水で阿賀を汚染してきました。我々漁師はそれを見て,また昭電の毒水,濁り水が来たといって来ました。その水が来ると,もう海から魚がのぼってこねえんです。昭電が何を流したか我々にはわからんが,魚がのぼらねば人間にも悪いのは誰が考えてもわかりきったことだ。」(同177頁4段目〜178頁1段目)
 「被告は,廃滓の一部を工場裏山狹に管理設備不十分のまま堆積し,一部を裏山通称団子山の頂上から出水時の河水氾濫の際,工場排水口上流の阿賀野川に流れ込む状態のまま捨てつづていた(第1回,第6回検証調書)。こうした廃滓,廃水たれ流しによる阿賀野川汚染に対し沿岸住民は早くから抗議を行っていた。」(同235頁2段目)
(2) 昭和32年9月25日の覚書 
 昭和32年9月25日,阿賀野川漁業協同組合協議会(以下「漁協協議会」という)の被害訴えにより,被告新潟県は,被告昭和電工鹿瀬工場との間で,覚書(以下「昭和32年の覚書」という)を交換している(甲A4号証 覚書)。被告昭和電工鹿瀬工場は,この覚書に基づき,漁協協議会に対し,50万円を支払っている(甲A4号証 受領書)。
 上記覚書の第二項には,「昭和電工株式会社鹿瀬工場は残滓並びに汚濁水の処理については被害の虞なきよう適切な措置を講ずるものとする。」と記載され,また第三項には,同工場は「汚濁水に因るものとして阿賀野川漁業協同組合協議会から魚族斃死の通報があった場合,県農林部立会いの上,直ちに現場検証を行い,その責任原因を確認したときは,補償の措置を講ずるものとする。」と記載されている。
 したがって,昭和32年9月には,鹿瀬工場からの残滓及び汚濁水の排出が,水産動植物に有害な物を遺棄し,又は漏せつするおそれがあるものの放置に該当し,それが,魚介類の繁殖保護上害があるものであり,そのことを被告新潟県は知っていた。しかし,被告新潟県は,上記の覚書を交わしたほかは,調整規則21条に基づく措置を執らなかった。そして,この懈怠が,次に述べる昭和34年1月の廃棄物捨て場の決壊につながることになった。

(3) 昭和34年1月2日の廃棄物捨て場の決壊
 鹿瀬工場には,周辺10ヶ所に合計37万㎥の産業廃棄物堆積場があった(甲A5号証,阿賀野の流れに15頁)。
昭和34年1月2日午後11時40分ころ,鹿瀬工場裏山にあるカーバイドかすなどの廃棄物捨て場が突然決壊し,汚毒物を含むヘドロ約3万トンが120メートルのがけをつたって流れ下った。この廃棄物捨て場はもともとは谷状のくぼ地で,工場のどろどろしたカーバイドかすを流し込んでいたところ,満杯になってきたので外側をカーバイドかすで固めて壁を作り,再び堤の内部にカーバイドかすなどの廃棄物を投棄していた場所であった。折からの雨や雪でカーバイドかすで固めた外壁がゆるみ,一気に決壊した。
 ヘドロは敷地内の鉄道引き込み線,工場,送電線などを破壊し,さらに工場外の社宅,民家,鹿瀬駅構内の線路を埋めた。町中総動員で1週間かけてヘドロを川に投げ込み,その結果,ヘドロは阿賀野川の流れを真っ白に変え,鹿瀬町から河口にいたる阿賀野川に生息する魚のほとんどを死滅させた。河口では張っていた網に死んだ魚が大量にかかり,網ごと海に流された。浮いた魚は660トンと推定されている(甲A5号証,阿賀野の流れに16頁)。
 このため津川署(新潟県警察)では,津川保健所に魚類が有毒かどうか検査を依頼するとともに沿岸各警察署へ「死んで浮んだ魚は食べないよう」警告を要望する手配を出した。(甲A6号証,新潟日報昭和34年1月4日の記事)。
 また,このときラジオで「死んだ魚は食べないように」との放送があったが,その後「はらわたさえ出せば食べても良い」と修正され,流域住民は大量の魚をリヤカーなどで運んで食べていた(甲A5号証,阿賀の流れに16頁)。

(4) 昭和34年4月25日の覚書
 漁協協議会は,上記廃棄物捨て場の決壊により,阿賀野川に流れ込んだ毒水のため魚が全滅した被害について,被告昭和電工に対し,補償要求をした(甲A7号証,読売新聞昭和34年1月22日の記事)。
 昭和34年4月25日,被告昭和電工と漁協協議会,新潟市大形地区漁業協同組合,松浜内水面漁業協同組合,濁川漁業協同組合,下条漁業協同組合及び大江山村漁業協同組合との間で,上記補償要求について,覚書が交換されている(甲A8号証,覚書)。被告昭和電工は,上記覚書により,漁族被害等補償金として2400万円を支払うこととなった。また,上記覚書第二項には,「昭和電工鹿瀬工場は,昭和32年9月25日付覚書の第二,第三項については誠意をもってこれが解決に当たるものとする。」と記載されている。したがって,覚書が交わされた当時,鹿瀬工場の残滓並びに汚濁水の処理については被害の虞なきよう適切な措置を講ずることが要請されていた。
 上記覚書は,被告新潟県が仲介に入って妥結したものであり,新潟県副知事が,覚書の立会人となっている。
 このように昭和34年4月当時,鹿瀬工場の残滓の放置や汚濁水の排出,廃棄物の流出は,調整規則21条1項の水産動植物に有害な物の遺棄,又は漏せつするおそれがあるものの放置に該当し,同条2項の水産動植物の繁殖保護上害があると認められる場合に該当していた。
 そして,廃棄物捨て場の決壊時に,新潟県警察津川警察署(被告新潟県の機関である)が「死んで浮んだ魚は食べないよう」と手配したり,ラジオでも食べないようにとの放送があったことからすれば,鹿瀬工場の残滓の放置や汚濁水の排出,廃棄物の流出により,阿賀野川の魚介類を摂取する住民の健康に重大な被害が生じうる状況にあった。また,後記(5)の事情も考慮すると被告新潟県は,遅くとも昭和34年11月末までには,そのことを認識できる状況にあった。

(5) 熊本県水俣病発生と原因究明,国会での議論
 熊本県水俣市を中心とする水俣病の発生と原因究明の経過は,以下のとおりである。
ア 昭和31年5月1日,水俣保健所は,新日本窒素肥料株式会社(以下「新日窒」という。)水俣工場附属病院から奇病発生の報告を受け,調査した結果,昭和28年ころに既に同様の症状を呈する患者が発生しており,他にも多数の患者の存在が観察された。
 そこで,水俣保健所を中心に奇病対策委員会が設置されたが,同委員会は,同年8月,熊本大学医学部に調査研究を依頼し,同じころ,熊本県も原因究明を熊本大学長に正式に依頼した。
イ 同年8月24日,熊本大学医学部では,水俣病医学研究班(以下「熊大研究班」という。)を組織し,調査・研究を開始した。そして,同年11月4日,同研究班は,「この奇病(水俣病)は,ある種の重金属による中毒と考えられ,その中毒物質としてマンガンが最も疑われ,人体への侵入は主として水俣湾産魚介類によるものであろう。」との中間発表をした。
 この報告を受けた熊本県衛生部は,翌昭和32年2月26日「水俣湾の魚介類を摂食すると危険である」旨を発表し,現地の住民に対して行政指導をした。
ウ 昭和34年1月16日,厚生省は,水俣病の原因についての総合的研究を推進する目的で,厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会に,特別部会として水俣食中毒部会を発足させた。
エ 同年7月22日,熊大研究班は,「水俣病は現地水俣湾産の魚介類を摂取することによって惹起された神経系疾患で,魚介類を汚染している毒物としては,水銀が極めて注目される。」と報告し,この結果は,翌23日に報道された(以上につき,新潟地裁昭和46年9月29日判決(水俣病第1次訴訟第一審判決)判例時報642号117頁〜118頁,新潟地裁平成4年3月31日判決(水俣病第2次訴訟第一審判決)判例時報1422号45頁)。
オ 同年10月21日,通商産業省(以下「通産省」という。)は,新日窒に対し,ア)アセトアルデヒド製造工程からの排水の水俣川河口への放出中止,イ)排水浄化装置の年内完成を指示した(甲A1号証,45頁新潟水俣病関係年表)。
カ 同年11月12日,食品衛生調査会は,水俣食中毒部会での中間報告を基に水俣食中毒の原因について同日付けで厚生大臣に対して答申を行った。答申の結論は,「水俣病は,水俣湾及びその周辺に生息する魚介類を多量に摂食することによって起こる主として中枢神経系統の障害される中毒性疾患であり,その主因をなすものはある種の有機水銀化合物である。」というものであった(新潟地裁平成4年3月31日判決(水俣病第2次訴訟第一審判決)判例時報1422号45頁〜46頁)。
キ 通産省は,同年10月末から11月にかけて,厚生省公衆衛生局長,水産庁長官等から,親日水俣工場の排水に対して適切な処置を至急講ずるよう求める旨の要望を受けたので,親日窒の社長あてに文書を送付して,一刻も早く排水処理施設を完備することなどを求めた(最高裁第二小法廷平成16年10月15日判決(水俣病関西訴訟上告審判決),判例時報1876号8頁)。

ク 国会での議論
(ア) 上記の熊本県での水俣病の発生,原因究明の経過については,昭和32年3月7日の参議院社会労働委員会(甲A9号証,第26回参議院社会労働委員会会議録第6号,8頁〜16頁),同年9月12日の同委員会(甲A10号証,第26回参議院社会労働委員会(第26回国会継続)会議録第6号,8頁〜12頁),同33年6月24日の同委員会(甲A11号証,第29回参議院社会労働委員会会議録第2号,18頁〜29頁),同年10月16日の衆議院社会労働委員会(甲A12号証,第34回国会衆議院社会労働委員会会議録第7号,10頁〜11頁)において水俣病が社会的な問題として取り上げられ質疑答弁が行われている。
(イ) 昭和34年10月22日,衆議院農林水産委員会において,福永一臣委員が質問の中で以下の発言をしている。
 「水俣には御承知の通り水俣湾に臨んで新日本窒素肥料株式会社の工場がございまして,その工場から出てくるところの工場排水が原因であるというのが実は一般の常識になっておるのであります。」,「それから,一つには工場の監督を強化してもらって,そうして,この原因の究明ができないから工場の監督をゆるがせにするとかほったらかすということではなくて,監督官庁はこれに対してまして一つ強い監督をしてもらう。」(甲A13号証,第32回国会衆議院農林水産委員会議録第17号7頁3段目〜4段目)
 また,福永委員は,「新日本窒素肥料株式会社の監督の衝に当たられる通産省としてそういう事実を知っておられるかどうかを伺いたい」と質問している。この質問に対し,通産省の藤岡説明員は,知っているかどうかについては,「新聞雑誌等にもありますように相当広範囲に流布されており,現地から報告等も参って」いる(同議事録9頁4段目)と答弁している。そして,高田説明員は,「一応工業用水も危険であると考え,」,「できるだけこの水からは考えられる害物が出ないようにしたいという指導をしております。」と答弁している(同頁5段目)。
 さらに,川村継義委員は,全国の新日窒のような工場数を質問し,高田説明員は,水銀を使うのは,アセトアルデヒドを生産する段階と塩化ビニールモノマーを作るときの段階で,全国で,アセトアルデヒドを生産する工場は7工場,塩化ビニール関係は14工場あると答弁している(同13頁5段目)。
(ウ)  昭和34年11月19日,参議院社会労働委員会において,通産省の藤岡大信説明員は,水銀を使っている全国の工場にわたって大体の調査をしたところ,汚水処理の段階はあまり変わっていないようであると答弁している(甲A14号証,第33回国会参議院社会労働委員会会議録第3号3頁3段目)。さらに藤岡説明員は,新日本窒素肥料株式会社に対し,上記「オ」の指示をし,上記「キ」の文書を送付したことを答弁している(同4頁1〜2段目)。
ケ 新潟県知事は,他県での出来事とはいえ,水俣病が社会的な問題となっており,上記のとおり国会でも議論されていることから,親日窒の工場排水により,水俣湾又はその周辺海域の魚介類を摂取した住民の生命,健康等に対する深刻かつ重大な被害が生じていることを,行政の長として当然熟知していたはずである。

(6) 水俣病の発生,拡大
 阿賀野川では,昭和34年の上記廃棄物捨て場の決壊後,2〜3年は魚がまったく見えなくなったが,支流に逃げた魚が本流に戻ってきて増え,昭和38年,39年は大漁であった(甲A5号証,阿賀野の流れに16頁)。
 被告昭和電工鹿瀬工場は,昭和34年ころからアセトアルデヒドの生産量を急激に増加させており,それに伴い阿賀野川へ排出されたメチル水銀の量も年々増加していったと考えられる。同工場のアセトアルデヒドの年生産量は,昭和39年がピークで,昭和32年の約3倍,同34年の約2倍と急増している,(甲A1号証,新潟水俣病のあらまし,14頁)。
 低棲魚のニゴイ等が成魚となるには3〜5年の期間を要し,昭和37年〜40年にかけて多くの沿岸住民が,体内に有機水銀を濃縮し成魚となったニゴイ等を喫食することになった。
 当時の新潟県知事が,遅くとも昭和34年12月までに調整規則21条に基づく規制権限を行使して,被告昭和電工に対し,鹿瀬工場の排水や廃棄物について有害な物の除害設備の設置又は既にある除害設備の変更を命じていれば,原告ら阿賀野川流域住民のその後の水俣病による健康被害の発生,拡大,悪化を防止することができた。

(7) まとめ
ア 以上の事情によれば,遅くとも昭和34年11月末までには,鹿瀬工場の排水及び残滓の放置は,調整規則21条1項の「水産動植物に有害な物の遺棄,又は漏せつするおそれがあるものの放置」に該当しており,同条2項の「水産動植物の繁殖保護上害があると認められる場合」に該当していた。新潟県知事は,そのことを認識していた。
イ さらに遅くとも同月末までには,鹿瀬工場の排水及び残滓の放置により,阿賀野川の魚介類を摂取する住民の生命,健康等に対する深刻かつ重大な被害が生じうる状況が生じていた。そして,上記(3)の廃棄物捨て場決壊の際の津川警察の対応などや,(5)の熊本県における水俣病の発生と原因究明の状況を合わせると,新潟県知事(当時)は,鹿瀬工場の排水及び残滓の放置により,阿賀野川の魚介類を摂取する住民の生命,健康等に対する深刻かつ重大な被害が生じうることを認識できる状況にあった。
ウ また,新潟県知事において,調整規則21条に基づく規制権限を行使して,被告昭和電工に対し,排水や廃棄物について有害な物の除害設備の設置又は既にある除害設備の変更を命ずるために期間を要するとしても,遅くとも昭和34年12月末までには,調整規則21条に基づく規制権限を行使することは可能であった。しかも,阿賀野川の魚介類を摂取する住民の生命や健康に与える被害の重大さにかんがみると,直ちにこの権限を行使すべき状況にあった。
エ したがって,新潟県知事には,遅くとも昭和34年12月末までに調整規則21条に基づく規制権限を行使すべき作為義務があり,この義務を怠ったことは,不作為による違法行為に該当する。そして,当時の新潟県知事は,このような違法行為を容易に避けることができたのだから,規制権限を行使しなかった過失があった。
オ 遅くとも昭和34年12月末までに,新潟県知事がこの規制権限を行使していれば,原告ら阿賀野川流域住民について,その後の水俣病の発生,拡大及び健康被害の悪化を防止することができた。

3 結論
 よって,新潟県知事が,昭和35年1月以降,調整規則21条に基づく規制この権限を行使しなかったことは,調整規則の趣旨,目的や,その権限の性質等に照らし,具体的事情の下において,著しく合理性を欠くものである。被告新潟県は,昭和35年1月以降に阿賀野川の魚介類を摂食して水俣病に罹患し又は健康被害が悪化した原告らに対して,国家賠償法1条1項による損害賠償責任を負う。