行政指導に関する準備書面

 平成19年(ワ)第279号外 損害賠償請求事件
                      原告 XXXXXXXXXXX

                      被告 昭和電工株式会社

準備書面 6
 
2009年2月19日

新潟地方裁判所第2民事部 御中

           原告ら訴訟代理人 弁護士 郄(高)島 章 
                                外

被告国・被告県の行政指導不作為責任について

 「準備書面1」(平成20年7月10日)においては,被告国・被告県の「規制権限の不行使責任」について主張した。今回は,被告国・被告県の「行政指導の不作為責任」について主張する。

第1 行政指導の作為義務
 行政指導の不作為も,広義では規制権限の不行使に含められてよい。行政指導の不作為が違法となり得るか否かについては,これを否定する見解もあるが,多数説は,一般論としては,条理上,行政指導の作為義務が発生し得ることを肯定している。裁判例においても,一定の場合には,例外的に条理上行政指導をすべき義務が生ずる,とされている。
 行政指導の不作為が違法となり得ることを明言した裁判例としては,熊本水俣病第3次第1陣訴訟の熊本地判昭和62・3・30(判時1235号3頁)が著名である。同判決は,「行政庁が行政指導するか否かは自由裁量行為であって法的義務があるわけではないが,……強大な権限を背景とし企業等に対し影響力を行使しうる行政庁は,前記5要件に該当するような緊急事態にあっては,これに即応し適切な行政指導をなすべき義務が発生するものというべく,右義務を怠り,国民の生命,健康に対する重大な危害の発生を防除しなかったときには,行政庁が国民から付託された責務に違反し,右違反は作為義務違反となることもありうる」と判示している。そこでいう5要件とは,規制権限の不行使責任における作為義務の成立要件とほぼ同じである。C型肝炎訴訟の福岡地判平成18・8・30(判時1953号11頁)も,「厚生大臣は,再評価の結果を待つまでもなく,本件非加熱フィブリノゲン製剤の製造,販売業者である被告会社らに対し,緊急安全性情報を配布するよう被告会社らに行政指導すべき義務があった」として,行政指導の不実施を違法としている。
 行政指導の不作為が違法となる要件は,規制権限不行使が違法となる要件とほぼおなじである。国民の生命・身体・健康等への危険の切迫性,予見可能性,回避可能性等である。
第2 被告国の行政指導の不作為責任
 新潟水俣病第2次訴訟の新潟地判平成4・3・31(判時1422号39頁)は,原告らの主張する作為義務はすべて直接の法令上の根拠に基づかないものであるとして,以下のように判示している。
 「直接の法令上の根拠に基づかない行政指導は,各省設置法等の組織規範に基づく行政指導と解されているが,このような行政指導は,行政指導を行う主体,客体,行政指導の内容,方法等についての規定がなく,行政指導をするかどうか,いつ,どのような内容と方法で行うかは,本来,当該行政機関の政治的,技術的裁量に委ねられているというべきであり,極めて例外的に,国民の生命,身体,財産に対する差し迫った重大な危険状態が発生し,行政機関が超法規的にその危険の排除にあたらなければ国民に保護が与えられないような場合には,条理によって,適切な行政指導をなすべき義務が生じる場合があることも否定できないが,原則として,右行政指導を実施することが公務員の職務上の法的義務となることはないというべきである。そして,行政指導は,その性質上,行政機関が行政目的を達成するための法的拘束力のない非権力的,任意的な行政上の措置であり,専ら相手方の任意の同意又は協力を得てその意図するところを実現しようとするもので,同意ないし協力なくしては行政目的の実現を図ることができない性質がある。したがって,行政指導が行われたならば相手方がこれに従い,そうすれば損害が発生しなかったという関係がなければ,行政指導の不作為と損害との因果関係が認められないことになる」との一般論を展開した上で,本件における作為義務の有無について具体的に検討し,次のように判示している。「新潟において有機水銀中毒の発生が正式に発表されたのは昭和40年6月12日であり,昭和36年末当時は,未だ新潟県において水俣病患者が発生したとの報告はなく,前記第三の1の(二)記載の被告国の水俣病に関する知見及び企業側の対応状況からして,被告国が被告昭和電工に対し排水規制のための行政指導をする合理的根拠がなく,被告昭和電工もこれを受け入れる余地はなかったものと推認されるので,したがって,同年末に,被告国が被告昭和電工に対し,原告主張のような排水規制に関する行政指導をすべき義務があったということはできないし,仮に何らかの行政指導をすべき義務の懈怠があったとしても,その不作為と損害との間の因果関係は認め難い。」
 この新潟地裁判決は,行政指導の作為義務の発生要件を極めて狭く限定するものであるが,それでも例外的に,条理上,行政指導をなすべき義務が発生し得ることを認めている。ただ,前記のように,本判決は,「昭和36年末以前には,水俣病の原因物質並びにその発生及び生成過程は明らかではなかったので,被告国はこれらを知ることはできなかったものと認められる」と判断したために,被告国が被告昭和電工に対し排水規制のための行政指導をする合理的根拠がない,としたものである。しかし,このような判断は,水俣病関西訴訟の最判平成16・10・15(民集58巻7号1802頁)によって否定されたものと考えるべきである。新潟地裁判決は,行政の現状を追認し,水俣病の解明の時期を遅らせることによって国の責任を否定したものである。しかも,行政指導の不作為と損害との間の因果関係を否定するに至っては,当時行政指導の果たしていた機能の実態を全く看過したものといわざるを得ない。当時において国の行政指導に従わない企業がどのくらい存在していたのであろうか。なるほど,行政指導に服従するか否かは,相手方の任意であり,これが行政指導の建前ではある。しかし,行政運営の実際においては,行政機関は,行政指導の実効性を担保するために,これまで種々の抑制的措置や誘導的措置を講じてきたのである。このことは,とりわけ昭和30年代から40年代にかけて顕著であった。「被告昭和電工もこれを受け入れる余地はなかった」というのは,当時の行政指導の実態を無視した机上の空論というべきである。
 関西水俣病訴訟の最高裁判決によれば,昭和34年11月の時点で,被告国は,水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であり,その排出源がチッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造施設であることを高度の蓋然性をもって認識し得る状況にあった。このような状況の下においては,行政指導の作為義務の前記成立要件は充足されており,被告国には,全国の同種の製造施設に対して,同種被害の発生・拡大の防止のために行政指導をなすべき義務が発生し,その不実施は違法と評価すべきである。
 また,「準備書面1」において述べたところと重なるが,行政指導の不作為責任という観点から,再度,本件に特有な事実を指摘すれば,昭和34年1月2日に,昭和電工鹿瀬工場の裏手のカーバイト残滓捨場が崩壊し,カーバイト残滓が阿賀野川に流出し,多量の魚が死滅した。この事故を知った段階で,被告国は水俣病の発生の危険を予見することができたし,予見すべきであった。カーバイト残滓は水銀を処理するために使用されるものであり,熊本水俣病の事案をみてもチッソカーバイトを製造していたのであるから,このことからすれば,水俣病の発生を予見することは困難ではなかった。

第3 被告県の行政指導の不作為責任
 被告昭和電工は,昭和32年9月25日,阿賀野川漁連の訴えにより,被告県と「残滓並びに汚濁水の処理については被害のおそれなきよう適切な処理を行うものとする」との覚書を交換している。このことからすれば,被告県は,昭和32年当時において既に,水俣病の発生について,明確ではないにしても,ある程度の危険性を認識していたものと思われる。しかし,被告県は,上記の覚書を交わしたほかは,それ以上に何らの措置も執らなかったようである。この時点において危険防除のための行政指導を行っていれば,次に述べる昭和34年1月のカーバイト残滓捨場の崩壊は未然に防止できたはずである。
 前述したように,昭和34年1月2日に,昭和電工鹿瀬向上の裏手のカーバイト残滓捨場が崩壊し,カーバイト残滓が阿賀野川に流出し,多量の魚が死滅した。カーバイト残滓は水銀を処理するために使用されるものであり,熊本水俣病の事案をみてもチッソカーバイトを製造していたのであるから,被告国のみならず,被告県も,水俣病の発生を危惧し,何らかの行政指導をすべきであった。文献においては,このカーバイト残滓捨場の崩壊事故と水俣病との因果関係について,次のように説くものがある。すなわち,「新潟水俣病の発生は,昭和34年の大決壊による諸現象が関係あったと考えられる。関係の第一は大量に流入した(させた)毒性のある廃滓等による阿賀野川の魚の大量の死滅であり,このことがアセトアルデヒド生産工程で副生され生産増加とともに激増した水銀による魚汚染(食物連鎖等を通じて)の総水銀量を昭和39,40年に急増させたと考えられる。第二は,昭和34年の大決壊の際大量のカーバイトカスの他に水銀含有物(水銀スラッジ等)が阿賀野川流入し(流入させ),ために昭和39,40年の魚の全体の水銀量を一層増加させたと考えられる。この他,アセトアルデヒド工程をやめる間ぎわの昭和39,40年頃に毒物を流したと思われ,かつ工場周辺や構内にあった水銀含有物の堆積物から常時水銀が流出した(していた)と考えられる。以上の諸要因が作用して,強めあって新潟水俣病が発生,拡大,悪化が起こったと考えられる。」(鈴木哲・技術と人間1976年8月号107頁より)。このことからすれば,被告県は,この事故発生時において水俣病の発生を危惧して,被告昭和電工に対してはもとより,住民に対しても危険性を周知徹底させるべきであった。
 ところが,被告県が行政指導に乗り出したのは,昭和40年6月28日である。県の水銀中毒対策本部は,この時にはじめて阿賀野川下流の魚介類採捕規制について行政指導を行い,同年9月1日にはこれを食用規制に切り替えた。また,同年7月12日には,県衛生部(現福祉保健部)は,食品衛生法違反のおそれにより,阿賀野川産の川魚の販売禁止の行政指導を実施し,翌日の13日には,県は関係漁協に見舞金総額50万円を支給した。しかし,これらの行政指導は,保健所,漁業関係組合等にとどまり,一般には周知徹底されなかった。同月26日,県有機水銀中毒研究本部は,受胎調節等の訪問指導及び健康管理の実施を決定した。
 被告県の行った行政指導は,極めて時期に遅れたものであり,また不十分なものであった。魚介類採捕禁止の行政指導は,最初は横雲橋下流でのものであり,かえって横雲橋上流の魚介類は安全であると思わせる内容であった。このために,横雲橋上流地域では,潜在的患者が増大することになったのである。
 昭和41年5月17日には,新潟県議会公安厚生委員会において,北野博一県衛生部長は,「原因は9分9厘まで昭電鹿瀬工場の工場廃液と見られる」との見解を表明している(新潟日報昭和41年5月18日)。
 昭和42年と44年の行政指導は,いずれも長期かつ大量の喫食は避けるようにとはされていたのであるが,これは,むしろ川魚の食用抑制を緩和する趣旨の行政指導であった。第2次訴訟の前掲新潟地判平成4・3・31 も,「昭和42年及び昭和44年の行政指導は,いずれも長期かつ大量の喫食はさけるようにとはされているが,むしろ川魚の食用抑制を緩和する趣旨の行政指導であり,昭和46年以降の行政指導は長期かつ大量の喫食はさけるようにとの指導にとどまっている」と判示している(判時1422号39頁(60頁))。
 昭和42年4月18日には,新潟水銀中毒事件特別研究班の最終報告書では,被告昭和電工鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程の排水が原因との見解が表明された。被告県の行った行政指導は,極めて被告昭和電工寄りのものであったというべきである。
第4 結論
 以上の具体的事実の下においては,被告国・被告県が適時かつ適切な行政指導を行っていれば,メチル水銀中毒症の拡大を防止できたはずである。行政指導の作為義務の成立要件はすべて充足されており,その不作為(不実施)は違法というべきである。