口頭意見陳述原稿

意見陳述書
 
2009年2月19日

新潟地方裁判所第2民事部 御中

           原告ら訴訟代理人 弁護士 郄(高)島 章

 本件訴訟では,新潟県を共同被告として訴えています。水俣病の原因(昭電による廃液の垂れ流し)が発生した当時,新潟県水俣病の発生を防止するため,どのような行政行為をすべきであったのか,新潟県は何ができたのか,何をしたのか,何をさぼったのか・・・。新潟県を被告としたのは,このような事実を明らかにし,地方自治体の力によって,今後起こるかも知れない公害を防止し撲滅して欲しいとの願いがあるのです。
 第1回弁論で意見を述べたとおり,被告新潟県と原告とは,訴訟当事者として厳しく対決しているのですが,しかし,歴史的真実を明らかにして,それを将来の教訓としようという思いは,そのような立場を超えて共通の思いであります。泉田知事もインタビューで,このような考え方を明らかにしています。
 そのような見地から,このたび被告県に対して求釈明を申請したものであります。新潟県におかれては,誠実にできるだけ具体的に回答していただきたく思います。
 もとより,求釈明で投げかけた問いに関しては,原告の立場から,関係団体に照会のうえ,資料の収集に努めているところであります。しかし,この点に関して資料を整備しているのは,県ですから,是非とも事実を検証していただきたいのです。

 

被告新潟県への求釈明

準備書面 7
(被告県宛て求釈明申請)
 
2009年2月19日

新潟地方裁判所第2民事部 御中

           原告ら訴訟代理人 弁護士 高(郄)島 章 
 裁判所におかれては,下記の事項を被告新潟県に対して求釈明されるよう申請する。



第1 県議会請願に対する被告県の対応について(甲A19を参照)
 「阿賀野川の漁業補償に関する請願」に対して,県が昭和32年2月県議会に提出した報告(「処理の経過及び結果」)の中に「…補償について目下折衝中であります。」とあるが,折衝の経過及び結果の具体的な内容を明らかにされたい。
 釈明に際しては,この件に関する書証を提出願いたい。

第2 被告県が立会をした「覚書」について(甲A18を参照)
 昭和32年9月25日に新潟県が昭電鹿瀬工場との間で交換した覚書「残滓・汚染水処理は被害のおそれなきよう適切な処理を」に関して,その後県はどのような対応や措置はしたか,明らかにされたい。
 釈明に際しては,この件に関する書証を提出願いたい。

第3 「毒水」に対する県の対応について(準備書面「年表」参照)
 昭和21年ころから昭電鹿瀬工場から毒水が流されたことに対して,県が採られた対応や措置は何か。時期ごとに回答されたい。
 釈明に際しては,この件に関する書証を提出願いたい。

第4 熊本水俣病発生に対する県の対応について
 昭和31年〜昭和34年ころには,熊本水俣病事件について工場排水と魚介類が原因であることがほぼ明らかになっていた。被告県は,同種製造工場である昭電鹿瀬工場の排水によりそれ以前から阿賀野川が汚染され魚介類に被害が生じていたことを熟知していたと思料される。そこで,県として,水俣病発生を予測し調査したりしなかったのか。
 また,それらについて国との間で情報交換等をしなかったのか。
 釈明に際しては,この件に関する書証を提出願いたい。

行政指導に関する準備書面

 平成19年(ワ)第279号外 損害賠償請求事件
                      原告 XXXXXXXXXXX

                      被告 昭和電工株式会社

準備書面 6
 
2009年2月19日

新潟地方裁判所第2民事部 御中

           原告ら訴訟代理人 弁護士 郄(高)島 章 
                                外

被告国・被告県の行政指導不作為責任について

 「準備書面1」(平成20年7月10日)においては,被告国・被告県の「規制権限の不行使責任」について主張した。今回は,被告国・被告県の「行政指導の不作為責任」について主張する。

第1 行政指導の作為義務
 行政指導の不作為も,広義では規制権限の不行使に含められてよい。行政指導の不作為が違法となり得るか否かについては,これを否定する見解もあるが,多数説は,一般論としては,条理上,行政指導の作為義務が発生し得ることを肯定している。裁判例においても,一定の場合には,例外的に条理上行政指導をすべき義務が生ずる,とされている。
 行政指導の不作為が違法となり得ることを明言した裁判例としては,熊本水俣病第3次第1陣訴訟の熊本地判昭和62・3・30(判時1235号3頁)が著名である。同判決は,「行政庁が行政指導するか否かは自由裁量行為であって法的義務があるわけではないが,……強大な権限を背景とし企業等に対し影響力を行使しうる行政庁は,前記5要件に該当するような緊急事態にあっては,これに即応し適切な行政指導をなすべき義務が発生するものというべく,右義務を怠り,国民の生命,健康に対する重大な危害の発生を防除しなかったときには,行政庁が国民から付託された責務に違反し,右違反は作為義務違反となることもありうる」と判示している。そこでいう5要件とは,規制権限の不行使責任における作為義務の成立要件とほぼ同じである。C型肝炎訴訟の福岡地判平成18・8・30(判時1953号11頁)も,「厚生大臣は,再評価の結果を待つまでもなく,本件非加熱フィブリノゲン製剤の製造,販売業者である被告会社らに対し,緊急安全性情報を配布するよう被告会社らに行政指導すべき義務があった」として,行政指導の不実施を違法としている。
 行政指導の不作為が違法となる要件は,規制権限不行使が違法となる要件とほぼおなじである。国民の生命・身体・健康等への危険の切迫性,予見可能性,回避可能性等である。
第2 被告国の行政指導の不作為責任
 新潟水俣病第2次訴訟の新潟地判平成4・3・31(判時1422号39頁)は,原告らの主張する作為義務はすべて直接の法令上の根拠に基づかないものであるとして,以下のように判示している。
 「直接の法令上の根拠に基づかない行政指導は,各省設置法等の組織規範に基づく行政指導と解されているが,このような行政指導は,行政指導を行う主体,客体,行政指導の内容,方法等についての規定がなく,行政指導をするかどうか,いつ,どのような内容と方法で行うかは,本来,当該行政機関の政治的,技術的裁量に委ねられているというべきであり,極めて例外的に,国民の生命,身体,財産に対する差し迫った重大な危険状態が発生し,行政機関が超法規的にその危険の排除にあたらなければ国民に保護が与えられないような場合には,条理によって,適切な行政指導をなすべき義務が生じる場合があることも否定できないが,原則として,右行政指導を実施することが公務員の職務上の法的義務となることはないというべきである。そして,行政指導は,その性質上,行政機関が行政目的を達成するための法的拘束力のない非権力的,任意的な行政上の措置であり,専ら相手方の任意の同意又は協力を得てその意図するところを実現しようとするもので,同意ないし協力なくしては行政目的の実現を図ることができない性質がある。したがって,行政指導が行われたならば相手方がこれに従い,そうすれば損害が発生しなかったという関係がなければ,行政指導の不作為と損害との因果関係が認められないことになる」との一般論を展開した上で,本件における作為義務の有無について具体的に検討し,次のように判示している。「新潟において有機水銀中毒の発生が正式に発表されたのは昭和40年6月12日であり,昭和36年末当時は,未だ新潟県において水俣病患者が発生したとの報告はなく,前記第三の1の(二)記載の被告国の水俣病に関する知見及び企業側の対応状況からして,被告国が被告昭和電工に対し排水規制のための行政指導をする合理的根拠がなく,被告昭和電工もこれを受け入れる余地はなかったものと推認されるので,したがって,同年末に,被告国が被告昭和電工に対し,原告主張のような排水規制に関する行政指導をすべき義務があったということはできないし,仮に何らかの行政指導をすべき義務の懈怠があったとしても,その不作為と損害との間の因果関係は認め難い。」
 この新潟地裁判決は,行政指導の作為義務の発生要件を極めて狭く限定するものであるが,それでも例外的に,条理上,行政指導をなすべき義務が発生し得ることを認めている。ただ,前記のように,本判決は,「昭和36年末以前には,水俣病の原因物質並びにその発生及び生成過程は明らかではなかったので,被告国はこれらを知ることはできなかったものと認められる」と判断したために,被告国が被告昭和電工に対し排水規制のための行政指導をする合理的根拠がない,としたものである。しかし,このような判断は,水俣病関西訴訟の最判平成16・10・15(民集58巻7号1802頁)によって否定されたものと考えるべきである。新潟地裁判決は,行政の現状を追認し,水俣病の解明の時期を遅らせることによって国の責任を否定したものである。しかも,行政指導の不作為と損害との間の因果関係を否定するに至っては,当時行政指導の果たしていた機能の実態を全く看過したものといわざるを得ない。当時において国の行政指導に従わない企業がどのくらい存在していたのであろうか。なるほど,行政指導に服従するか否かは,相手方の任意であり,これが行政指導の建前ではある。しかし,行政運営の実際においては,行政機関は,行政指導の実効性を担保するために,これまで種々の抑制的措置や誘導的措置を講じてきたのである。このことは,とりわけ昭和30年代から40年代にかけて顕著であった。「被告昭和電工もこれを受け入れる余地はなかった」というのは,当時の行政指導の実態を無視した机上の空論というべきである。
 関西水俣病訴訟の最高裁判決によれば,昭和34年11月の時点で,被告国は,水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であり,その排出源がチッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造施設であることを高度の蓋然性をもって認識し得る状況にあった。このような状況の下においては,行政指導の作為義務の前記成立要件は充足されており,被告国には,全国の同種の製造施設に対して,同種被害の発生・拡大の防止のために行政指導をなすべき義務が発生し,その不実施は違法と評価すべきである。
 また,「準備書面1」において述べたところと重なるが,行政指導の不作為責任という観点から,再度,本件に特有な事実を指摘すれば,昭和34年1月2日に,昭和電工鹿瀬工場の裏手のカーバイト残滓捨場が崩壊し,カーバイト残滓が阿賀野川に流出し,多量の魚が死滅した。この事故を知った段階で,被告国は水俣病の発生の危険を予見することができたし,予見すべきであった。カーバイト残滓は水銀を処理するために使用されるものであり,熊本水俣病の事案をみてもチッソカーバイトを製造していたのであるから,このことからすれば,水俣病の発生を予見することは困難ではなかった。

第3 被告県の行政指導の不作為責任
 被告昭和電工は,昭和32年9月25日,阿賀野川漁連の訴えにより,被告県と「残滓並びに汚濁水の処理については被害のおそれなきよう適切な処理を行うものとする」との覚書を交換している。このことからすれば,被告県は,昭和32年当時において既に,水俣病の発生について,明確ではないにしても,ある程度の危険性を認識していたものと思われる。しかし,被告県は,上記の覚書を交わしたほかは,それ以上に何らの措置も執らなかったようである。この時点において危険防除のための行政指導を行っていれば,次に述べる昭和34年1月のカーバイト残滓捨場の崩壊は未然に防止できたはずである。
 前述したように,昭和34年1月2日に,昭和電工鹿瀬向上の裏手のカーバイト残滓捨場が崩壊し,カーバイト残滓が阿賀野川に流出し,多量の魚が死滅した。カーバイト残滓は水銀を処理するために使用されるものであり,熊本水俣病の事案をみてもチッソカーバイトを製造していたのであるから,被告国のみならず,被告県も,水俣病の発生を危惧し,何らかの行政指導をすべきであった。文献においては,このカーバイト残滓捨場の崩壊事故と水俣病との因果関係について,次のように説くものがある。すなわち,「新潟水俣病の発生は,昭和34年の大決壊による諸現象が関係あったと考えられる。関係の第一は大量に流入した(させた)毒性のある廃滓等による阿賀野川の魚の大量の死滅であり,このことがアセトアルデヒド生産工程で副生され生産増加とともに激増した水銀による魚汚染(食物連鎖等を通じて)の総水銀量を昭和39,40年に急増させたと考えられる。第二は,昭和34年の大決壊の際大量のカーバイトカスの他に水銀含有物(水銀スラッジ等)が阿賀野川流入し(流入させ),ために昭和39,40年の魚の全体の水銀量を一層増加させたと考えられる。この他,アセトアルデヒド工程をやめる間ぎわの昭和39,40年頃に毒物を流したと思われ,かつ工場周辺や構内にあった水銀含有物の堆積物から常時水銀が流出した(していた)と考えられる。以上の諸要因が作用して,強めあって新潟水俣病が発生,拡大,悪化が起こったと考えられる。」(鈴木哲・技術と人間1976年8月号107頁より)。このことからすれば,被告県は,この事故発生時において水俣病の発生を危惧して,被告昭和電工に対してはもとより,住民に対しても危険性を周知徹底させるべきであった。
 ところが,被告県が行政指導に乗り出したのは,昭和40年6月28日である。県の水銀中毒対策本部は,この時にはじめて阿賀野川下流の魚介類採捕規制について行政指導を行い,同年9月1日にはこれを食用規制に切り替えた。また,同年7月12日には,県衛生部(現福祉保健部)は,食品衛生法違反のおそれにより,阿賀野川産の川魚の販売禁止の行政指導を実施し,翌日の13日には,県は関係漁協に見舞金総額50万円を支給した。しかし,これらの行政指導は,保健所,漁業関係組合等にとどまり,一般には周知徹底されなかった。同月26日,県有機水銀中毒研究本部は,受胎調節等の訪問指導及び健康管理の実施を決定した。
 被告県の行った行政指導は,極めて時期に遅れたものであり,また不十分なものであった。魚介類採捕禁止の行政指導は,最初は横雲橋下流でのものであり,かえって横雲橋上流の魚介類は安全であると思わせる内容であった。このために,横雲橋上流地域では,潜在的患者が増大することになったのである。
 昭和41年5月17日には,新潟県議会公安厚生委員会において,北野博一県衛生部長は,「原因は9分9厘まで昭電鹿瀬工場の工場廃液と見られる」との見解を表明している(新潟日報昭和41年5月18日)。
 昭和42年と44年の行政指導は,いずれも長期かつ大量の喫食は避けるようにとはされていたのであるが,これは,むしろ川魚の食用抑制を緩和する趣旨の行政指導であった。第2次訴訟の前掲新潟地判平成4・3・31 も,「昭和42年及び昭和44年の行政指導は,いずれも長期かつ大量の喫食はさけるようにとはされているが,むしろ川魚の食用抑制を緩和する趣旨の行政指導であり,昭和46年以降の行政指導は長期かつ大量の喫食はさけるようにとの指導にとどまっている」と判示している(判時1422号39頁(60頁))。
 昭和42年4月18日には,新潟水銀中毒事件特別研究班の最終報告書では,被告昭和電工鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程の排水が原因との見解が表明された。被告県の行った行政指導は,極めて被告昭和電工寄りのものであったというべきである。
第4 結論
 以上の具体的事実の下においては,被告国・被告県が適時かつ適切な行政指導を行っていれば,メチル水銀中毒症の拡大を防止できたはずである。行政指導の作為義務の成立要件はすべて充足されており,その不作為(不実施)は違法というべきである。

平成19年(ワ)第279号
原告 I

被告 昭和電工株式会社

準備書面 1

2008年7月10日

新潟地方裁判所 第2民事部 御中

原告ら訴訟代理人 弁護士  郄(高)島 章

同 弁護士  大田陸介

同 弁護士  小野坂 弘

高(郄)島章訴訟複代理人 弁護士  鷲見一夫

原告ら訴訟代理人 弁護士  辻澤広子

同 弁護士  西埜 章

同 弁護士  宮本裕将



第1 はじめに
1 この準備書面においては,被告国・被告県の国家賠償責任(規制権限の不行使)について主張する。

判例
 国又は公共団体の公務員による規制権限の不行使は,その権限を定めた法令の趣旨,目的や,その権限の性質等に照らし,具体的事情の下において,その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは,その不行使により被害を受けた者との関係において,国家賠償法1条1項の適用上違法となる(最高裁平成元年11月24日第二小法廷判決・民集43巻10号1169頁,最高裁平成7年6月23日第二小法廷判決・民集49巻1600頁参照)。
 以下,上記判例を踏まえて,それぞれの被告の権限不行使(不作為)について主張するものである。

第2 被告国の作為義務違反
1 作為義務の発生根拠及びその内容(水質二法)
(1)  発生根拠
 いわゆる水質二法(公共用水域の水質保全に関する法律及び工場排水等の規制に関する法律。以下前者を「水質保全法」,後者を「工場排水規制法」といい,両者を併せて「水質二法」という)は,昭和33年12月25日に公布され,昭和34年3月1日に施行された。
 水質保全法は,公共用水域の水質の保全を図るなどのために必要な事項を定め,もって産業の相互協和と公衆衛生の向上に寄与することを目的とするものであり(同法1条),工場排水規制法は,製造業等における事業活動に伴って発生する汚水等の処理を適切にすることにより,公共用水域の水質の保全を図ることを目的とするものである(同法1条)。

(2) 国に課せられた作為義務の内容
 水質二法は,上記の目的を達成するために,概略次のような規制を定めている。
 まず,経済企画庁長官は,公共用水域のうち,水質の汚濁が原因となって関係産業に相当の被害が生じ,もしくは公衆衛生上看過し難い影響が生じているものまたはそれらのおそれがあるものを「指定水域」として指定するとともに(水質保全法5条1項),当該指定水域に係る「水質基準」を定めるものとされている(同条2項)。水質基準とは,「特定施設」を設置する工場等から指定水域に排出される水の汚濁の許容限度であり(同法3条2項),特定施設とは,製造業等の用に供する施設のうち,汚水または廃液(以下「汚水等」という)を排出するもので政令で定めるものである(工場排水規制法2条2項)。また,主務大臣は,工場排水の水質が当該指定水域に係る水質基準に適合しないと認めるときは,これを排出する者に対し,汚水等の処理方法に関する計画の変更,特定施設の設置に関する計画の変更等を命ずること(同法7条),汚水等の処理方法の改善,特定施設の使用の一時停止その他必要な措置を執るべきことを命ずること(同法12条)等の,特定施設から排出される工場排水に関して規制を行う権限を有するものとされており,主務大臣の上記命令に違反した者は,罰則を科される(同法23条)。

2 水質二法による規制権限行使の要件の充足
 以下に述べるとおり,被告国は遅くとも昭和35年までに水質二法に基づく規制権限を行使すべき作為義務があり,昭和35年1月以降,この権限を行使しなかったことは著しく合理性を欠くものである。

(1) 予見可能性
ア カーバイド残滓捨場崩壊による多量の魚の死亡
 詳細は後記に述べるとおりであるが,昭和34年1月2日,昭和電工鹿瀬工場の裏手のカーバイト残滓捨場が崩壊し,これが阿賀野川に流出して,多量の魚が死滅した(甲A4〜8)。この事故を知った段階で,被告国は水俣病の発生の危険を予見すべきであった。後述のように,この時点では,水質二法は,まだ施行されていなかったが,施行までの2ヶ月間に適用に向けての準備をすべき時期であり,重大な事件として大々的に周知されたものであり,特別な調査をすることなく,認識し得たものである。したがって,この事件を踏まえ,同法施行後,規制権限を行使するきっかけとすべきことは明らかであり,被告国は,遅くとも同年12月末以降は,水俣湾についてと同様に,阿賀野川についても水質二法上の規制権限を行使すべきであった。

イ 昭和34年11月10日付け通達の関係
 通産省軽工業局長は,昭和34年11月10日付けをもって,被告昭和電工を含めたアセトアルデヒド製造関係及び塩化ビニール製造関係の会社に対し,秘密裡に,「工場排水の水質調査報告依頼について」と題する通達を発し,その報告を求めた。被告昭和電工鹿瀬工場では,この通達を受けた後,製造部長が有機関係の係長以上の技術者を集め,水俣病の原因についてチッソ水俣工場が疑われていることなどを討議したが,そのことで格別の措置をとることはなかった(新潟地判昭和46・9・29判時642号96頁(158〜159頁)。なお,板東克彦「新潟水俣病訴訟」ジュリスト臨時増刊『特集 公害 実態・対策・法的課題』(1970年)159頁参照)。被告国が,この時点で詳細な調査を指示し,また自らも情報を積極的に入手していれば,早期発見に繋がったものである。

ウ 多数の猫の狂い死にの事例
 阿賀野川近辺の漁師の家では,昭和39年6月の新潟地震の前から「猫の狂い死に」が多く見られた(斉藤恒「新潟水俣病闘争の教訓」ジュリスト臨時増刊『特集 公害 実態・対策・法的課題』(1970年)108頁)。これに注目していれば,熊本水俣病を連想することはそれほど難しいことではなかったはずである。
エ さらに,詳細は後記の通りであるが,その他,同法施行前の数年間において,以下に列記する各事実が生じており,これらはいずれも被告国が認識していたはずである。むしろ水質二法の制定についてのある種の立法事実であり,被告国は同法の規制権限を行使すべきであった。

(ア)  沿岸漁民による阿賀野川汚染の発見
 昭和21年ころから,被告昭和電工鹿瀬工場(以下単に「鹿瀬工場」ともいう。)による阿賀野川汚染の事実が沿岸漁民によって発見されるようになった。

(イ) 昭和32年9月25日の覚書 
 昭和32年9月25日,阿賀野川漁業協同組合協議会(以下「漁協協議会」という。)の被害訴えにより,被告新潟県は,被告昭和電工鹿瀬工場との間で,覚書(以下「昭和32年の覚書」という)を交換している(甲A4号証)。被告昭和電工鹿瀬工場は,この覚書に基づき,漁協協議会に対し,50万円を支払っている(甲A4号証3枚目)。

(ウ) 昭和34年4月25日の覚書
 漁協協議会は,上記廃棄物捨て場の決壊により,阿賀野川に流れ込んだ毒水のため魚が全滅した被害について,被告昭和電工に対し,補償要求をし,昭和34年4月25日,被告昭和電工と漁協協議会,その他各地区漁業協同組合との間で,上記補償要求について,覚書が交換されている。被告昭和電工は,上記覚書により,漁族被害等補償金として2400万円を支払うこととなった。また,上記覚書第二項には,「昭和電工鹿瀬工場は,昭和32年9月25日付覚書の第二,第三項については誠意をもってこれが解決に当たるものとする。」と記載されており,覚書が交わされた当時,鹿瀬工場の残滓並びに汚濁水の処理については被害の虞なきよう適切な措置を講ずることが要請されていた。上記覚書は,被告新潟県が仲介に入って妥結したものであり,新潟県副知事が,覚書の立会人となっている(甲A8号証)。
(エ) 熊本県水俣病発生と原因究明,国会での議論
a  昭和31年5月1日,水俣保健所は,新日本窒素肥料株式会社(以下「新日窒」という。)水俣工場附属病院から奇病発生の報告を受け,調査した結果,昭和28年ころに既に同様の症状を呈する患者が発生しており,他にも多数の患者の存在が観察された。
 そこで,水俣保健所を中心に奇病対策委員会が設置されたが,同委員会は,同年8月14日,国立大学である熊本大学医学部に調査研究を依頼した。
b  同年8月24日,熊本大学医学部では,水俣病医学研究班(以下「熊大研究班」という。)を組織し,調査・研究を開始した。そして,同年11月4日,同研究班は,「この奇病(水俣病)は,ある種の重金属による中毒と考えられ,その中毒物質としてマンガンが最も疑われ,人体への侵入は主として水俣湾産魚介類によるものであろう。」との中間発表をした。
 この報告を受けた熊本県衛生部は,翌昭和32年2月26日「水俣湾の魚介類を摂食すると危険である」旨を発表し,現地の住民に対して行政指導をした。
c  昭和34年1月16日,厚生省は,水俣病の原因についての総合的研究を推進する目的で,厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会に,特別部会として水俣食中毒部会を発足させた。
d 同年7月22日,熊大研究班は,「水俣病は現地水俣湾産の魚介類を摂取することによって惹起された神経系疾患で,魚介類を汚染している毒物としては,水銀が極めて注目される。」と報告し,この結果は,翌23日に報道された(以上につき,新潟地裁昭和46年9月29日判決(水俣病第1次訴訟第一審判決)判例時報642号117頁〜118頁,新潟地裁平成4年3月31日判決(水俣病第2次訴訟第一審判決)判例時報1422号45頁)。
e  同年10月21日,通商産業省(以下「通産省」という。)は,新日窒に対し,ア)アセトアルデヒド製造工程からの排水の水俣川河口への放出中止,イ)排水浄化装置の年内完成を指示した(甲A1号証,45頁新潟水俣病関係年表)。
f 同年11月12日,食品衛生調査会は,水俣食中毒部会での中間報告を基に水俣食中毒の原因について同日付けで厚生大臣に対して答申を行った。答申の結論は,「水俣病は,水俣湾及びその周辺に生息する魚介類を多量に摂食することによって起こる主として中枢神経系統の障害される中毒性疾患であり,その主因をなすものはある種の有機水銀化合物である。」というものであった(新潟地裁平成4年3月31日判決(水俣病第2次訴訟第一審判決)判例時報1422号45頁〜46頁)。
g 通産省は,同年10月末から11月にかけて,厚生省公衆衛生局長,水産庁長官等から,親日水俣工場の排水に対して適切な処置を至急講ずるよう求める旨の要望を受けたので,親日窒の社長あてに文書を送付して,一刻も早く排水処理施設を完備することなどを求めた(最高裁第二小法廷平成16年10月15日判決(水俣病関西訴訟上告審判決),判例時報1876号8頁)。

h 国会での議論
(a) 上記の熊本県での水俣病の発生,原因究明の経過については,昭和32年3月7日の参議院社会労働委員会(甲A9号証,第26回参議院社会労働委員会会議録第6号,8頁〜16頁),同年9月12日の同委員会(甲A10号証,第26回参議院社会労働委員会(第26回国会継続)会議録第6号,8頁〜12頁),同33年6月24日の同委員会(甲A12号証,第29回参議院社会労働委員会会議録第2号,18頁〜29頁),同年10月16日の衆議院社会労働委員会(甲A12号証,第34回国会衆議院社会労働委員会会議録第7号,10頁〜11頁)において水俣病が社会的な問題として取り上げられ質疑答弁が行われている。
(b) 昭和34年10月22日,衆議院農林水産委員会において,福永一臣委員が質問の中で以下の発言をしている(甲A13号証)。
 「水俣には御承知の通り水俣湾に臨んで新日本窒素肥料株式会社の工場がございまして,その工場から出てくるところの工場排水が原因であるというのが実は一般の常識になっておるのであります。」,「それから,一つには工場の監督を強化してもらって,そうして,この原因の究明ができないから工場の監督をゆるがせにするとかほったらかすということではなくて,監督官庁はこれに対してまして一つ強い監督をしてもらう。」(7頁3段目〜4段目)
 また,福永委員は,「新日本窒素肥料株式会社の監督の衝に当たられる通産省としてそういう事実を知っておられるかどうかを伺いたい」と質問している。この質問に対し,通産省の藤岡説明員は,知っているかどうかについては,「新聞雑誌等にもありますように相当広範囲に流布されており,現地から報告等も参って」いる(9頁4段目)と答弁している。そして,高田説明員は,「一応工業用水も危険であると考え,」,「できるだけこの水からは考えられる害物が出ないようにしたいという指導をしております。」と答弁している(同頁5段目)。 さらに,川村継義委員は,全国の新日窒のような工場数を質問し,高田説明員は,水銀を使うのは,アセトアルデヒドを生産する段階と塩化ビニールモノマーを作るときの段階で,全国で,アセトアルデヒドを生産する工場は7工場,塩化ビニール関係は14工場あると答弁している(同13頁5段目)。
(c) 昭和34年11月19日,参議院社会労働委員会において,通産省の藤岡大信説明員は,水銀を使っている全国の工場にわたって大体の調査をしたところ,汚水処理の段階はあまり変わっていないようであると答弁している(甲A14号証3頁3段目)。さらに藤岡説明員は,新日本窒素肥料株式会社に対し,上記「e」の指示をし,上記「g」の文書を送付したことを答弁している(同4頁1〜2段目)。
i  したがって,被告国は,水俣病が社会的な問題として大々的に報道され,上記のとおり国会でも議論され,所轄の厚生省,通産省水産庁等においては十分な情報を得ていたものであり,,アセトアルデヒド製造施設からの工場排水により,水俣湾又はその周辺海域の魚介類を摂取した住民の生命,健康等に対する深刻かつ重大な被害が生じていることを,当然熟知していたはずである。
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(2)  権限の不行使
ア 新潟水俣病の発生・拡大について,被告国は,昭和35年以降,全国の同種の製造施設を調査しておれば,危険が切迫していることを予見することは十分可能であったし,適時かつ適切に規制権限が行使されていれば,被害の発生・拡大は回避可能であったのである。昭和40年6月16日の県衛生部長による「有機水銀中毒症の原因は阿賀野川の川魚によるものと推定される」との正式発表があった後も,被告昭和電工に対して何らの措置も執らなかったというのは,重大な過失であるというべきである。
 厚生省は,昭和40年12月,各都道府県に対する書面調査により全国の水銀使用工場のリストアップを行い,およそ194の工場が水銀を使用していることを把握し,昭和41年公害調査委託研究費によって,このうちカーバイト法によってアセトアルデセヒドの製造を行っている3工場について,製造工程,排水,環境等を精密調査した。その結果,工程中にはメチル水銀化合物が生成されているが排水処理を行っているので,排水中にはメチル水銀化合物は検出されないが,絶えず環境汚染について注意する必要がある,ということであった。阿賀野川有機水銀中毒事件について,被告昭和電工鹿瀬工場の工場排水に含まれたメチル水銀化合物による魚介類の長期継続的汚染がその発生の基盤をなしたとの最終見解が科学技術庁から発表されたのは,ようやく昭和43年9月26日になってからである。
イ このように,常識では考えられないような調査・措置の遅さ・杜撰さが水俣病の発生,拡大を招いたのである。それは当時の政府・行政の体質であって,担当者の責任問題に発展することもなく,また,被告昭和電工側の刑事責任が問われることもなかった。むしろ,被害者の抗議行動に対して警察的介入があったといわれているくらいである。

(3) 権限不行使の不合理性について
ア 水俣病関西訴訟の前掲最判平成16・10・15によれば,上記の規制権限は,当該水域の水質の悪化にかかわりのある周辺住民の生命,健康の保護をその主要な目的の一つとして,「適時にかつ適切に」行使されなければならない。また,同判決によれば,昭和34年11月末の時点で,?水俣湾またはその周辺海域の魚介類を摂取する住民の生命,健康等に対する深刻かつ重大な被害が生じ得る状況が継続していた,?現に多数の水俣病患者が発生し,死亡者も相当数に上っていることを認識していた,?水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であり,その排出源がチッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造施設であることを高度の蓋然性をもって認識し得る状況にあった,?チッソ水俣工場の排水に微量の水銀が含まれていることについての定量分析をすることは可能であった,?同年12月末の時点で,水質二法に基づく規制権限が行使されていれば,それ以降の水俣病の被害拡大を防ぐことができた,ということである。そして,結論として,同判決は,「本件における以上の諸事情を総合すると,昭和35年1月以降,水質二法に基づく上記規制権限を行使しなかったことは,上記規制権限を定めた水質二法の趣旨,目的や,その権限の性質等に照らし,著しく合理性を欠くものであって,国家賠償法1条1項の適用上違法というべきである」と判示している。
 上記の最高裁判決は熊本水俣病に関するものであるが,訴状において述べたように,同判決の説示は新潟水俣病においても等しく妥当するものである。
 被告国は,昭和34年11月末の時点で「水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であり,その排出源がチッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造施設であることを高度の蓋然性をもって認識しえる状況にあった」(水俣病関西訴訟の前掲最高裁判決)のであるから,それ以降直ちに全国の同種の製造施設からの排出を調査し,規制権限を行使すべきであったのに,それを怠ったものというべきである。直ちに一定の措置(調査,規制権限行使,行政指導等)を講じておれば,新潟水俣病の発生・拡大を防止できたはずである。確かに,前述のように,通産省軽工業局長は,昭和34年11月10日付けをもって,被告昭和電工を含めたアセトアルデヒド製造関係及び塩化ビニール製造関係の会社に対し,秘密裡に,「工場排水の水質調査報告依頼について」と題する通達を発し,その報告を求めてはいるが,それ以上に何ら具体的措置を講じてはいない。
イ 新潟水俣病第2次訴訟判決(新潟地判平成4・3・31判時1422号39頁)は,水俣病の原因解明の時期を著しく遅く捉えている。同判決は,「昭和36年末以前には,水俣病の原因物質並びにその発生及び生成過程は明らかではなかったので,被告国はこれらを知ることはできなかったものと認められ,したがって,被告昭和電工水俣病原因物質の排出に加担したとみる余地はないものといわざるを得ない」と判示している。新潟地裁判決のこのような捉え方は,水俣病関西訴訟の最高裁判決によって完全に否定されたものと解すべきである。

3 まとめ
 上記のような状況の下においては,規制権限行使の要件である危険の切迫性,予見可能性,回避可能性,補充性,国民の期待,の各要件はすべて充足されており,その不行使は違法と評価されるべきである。

第3 被告新潟県の責任(漁業調整規則上の責任)
 被告新潟県新潟県内水面漁業調整規則に基づく規制権限不行使の責任があること及び被告新潟県答弁書第6の4求釈明の申立てに対する釈明は,以下のとおりである。

1 新潟県内水面漁業調整規則21条
(1) 漁業調整規則21条
 昭和34年当時,新潟県内水面漁業調整規則(昭和26年新潟県規則第89号。以下,「調整規則」という(甲A2号証。なお,この規則は,昭和47年新潟県規則第93号により廃止された)が存在し,同規則21条1項は,水産動植物に有害な物を遺棄し,又は漏せつするおそれがあるものを放置することを禁じ,2項は,1項の規定に違反する者がある場合に,知事が,水産動植物の繁殖保護上害があると認めるときは,その違反者に対して,除害に必要な設備の設置を命じ,又は既に設けた除害設備の変更を命じうる権限を付与していた。
 調整規則21条1項又は2項の命令に違反した者に対しては,罰則が科される(同規則37条)。

(2) 調整規則の目的
 調整規則21条は,熊本県漁業調整規則(昭和26年熊本県規則第31号)32条(甲A15号証)とほぼ同じ規定である。熊本県漁業調整規則の関連規定は,以下のとおりである。
 1951年(昭和26年)施行
(漁業調整等による許可の変更等)
第30条
 知事は,漁業調整その他公益上必要があると認めるときは,許可の内容を変更し,若しくは制限し,操業を停止し,又は当該許可を取り消すことができる。
(有害物の遺棄等の禁止)
第32条
 何人も,水産動植物の繁殖保護に有害な物を遺棄し,又は漏せつ虞があるものを放置してはならない。
2 知事は,前項の規定に違反する者があるときは,その者に対し,除外に必要な設備のを命じ,又はすでに設けた除外設備の変更を命ずることができる。
 調整規則は,内水面における水産動植物の繁殖保護,漁業取締その他漁業調整に関して定められたもので(同規則1条),水産動植物の繁殖保護等を直接の目的とするものではあるが,それを摂取する者の健康の保持等をもその究極の目的とするものであると解されている(最高裁第二小法廷平成16年10月15日判決(水俣病関西訴訟上告審判決),判例時報1876号11頁)。
 この調整規則の目的にかんがみると,調整規則21条が適用される典型例は,直接,水産動植物を斃死(へいし)させ,その成長を阻害し,又は産卵や種苗等の育成に悪影響を及ぼす場合であるが,本件のように魚介類を摂取することによって人体被害が発生し,魚介類等の水産動植物をしてその水産資源としての価値を損ねる場合にも,その適用がある(大阪高裁平成13年4月27日判決(水俣病関西訴訟控訴審判決),判例時報1761号22頁)。

2 調整規則21条による規制権限行使の要件の充足
 以下に述べるとおり,新潟県知事には,遅くとも昭和34年12月末までに調整規則21条に基づく規制権限を行使すべき作為義務があり,昭和35年1月以降,この権限を行使しなかったことは著しく合理性を欠くものである。

(1) 沿岸漁民による阿賀野川汚染の発見
 被告昭和電工鹿瀬工場(以下単に「鹿瀬工場」ともいう。)による阿賀野川汚染の事実が沿岸漁民によって発見されたのは,昭和21年ころからであった。新潟水俣病第1次訴訟の原告らの第5(最終)準備書面では,以下のとおり述べられている(甲A3号証)。
 「昭和21年11月半ば頃だったと思います。赤煉瓦を粉にしたような水が流れてきたんです。昼間漁をしていた人も赤水がきて鮭も不漁だったといって川からあがりました。私らも晩12時までやったていましたけれども一本も網に入りませんでした(五十嵐栄一,第1回調書)。
 沿岸漁民が「昭電の毒水」「鹿瀬の赤水」と呼んだ明白な汚染は,その都度水量豊かな阿賀野川本流一面を侵してまったくの不漁をもたらし,少なくとも昭和40年ころまで毎年数回以上にわたって続けられていたのである。
 34年以前も毒水はちょいちょい流れてきました。その後は白水に川面に浮かない油かす様のものがよたよた混って,網につくと振っても落ちませんでした。漁期中だけでも5回くらいずつ流れてきました。とにかくその水が来ると3日くらいは魚がとれないで仕事を休むことが往々あったのです(桑野忠吾,第1回調書)。川水毒水か? 不漁(甲第86号証),米のとぎ汁のような白水が川全体に流れてきて魚が全然はいらなかったんです(近(こん) 喜代(きよ)一(いち),第1回調書)。」(同235頁1段目〜2段目)。
「三 桑野忠吾   私は,被告のような作り話でなく,昭和4年から阿賀で専業として漁業を営んできたことを話します。いま大野太郎さんが言われた34年よりずっと前から私は被害を受けて来ました。昭電はそれより約10年くらい前から,白い濁りあるいは赤茶けた水で阿賀を汚染してきました。我々漁師はそれを見て,また昭電の毒水,濁り水が来たといって来ました。その水が来ると,もう海から魚がのぼってこねえんです。昭電が何を流したか我々にはわからんが,魚がのぼらねば人間にも悪いのは誰が考えてもわかりきったことだ。」(同177頁4段目〜178頁1段目)
 「被告は,廃滓の一部を工場裏山狹に管理設備不十分のまま堆積し,一部を裏山通称団子山の頂上から出水時の河水氾濫の際,工場排水口上流の阿賀野川に流れ込む状態のまま捨てつづていた(第1回,第6回検証調書)。こうした廃滓,廃水たれ流しによる阿賀野川汚染に対し沿岸住民は早くから抗議を行っていた。」(同235頁2段目)
(2) 昭和32年9月25日の覚書 
 昭和32年9月25日,阿賀野川漁業協同組合協議会(以下「漁協協議会」という)の被害訴えにより,被告新潟県は,被告昭和電工鹿瀬工場との間で,覚書(以下「昭和32年の覚書」という)を交換している(甲A4号証 覚書)。被告昭和電工鹿瀬工場は,この覚書に基づき,漁協協議会に対し,50万円を支払っている(甲A4号証 受領書)。
 上記覚書の第二項には,「昭和電工株式会社鹿瀬工場は残滓並びに汚濁水の処理については被害の虞なきよう適切な措置を講ずるものとする。」と記載され,また第三項には,同工場は「汚濁水に因るものとして阿賀野川漁業協同組合協議会から魚族斃死の通報があった場合,県農林部立会いの上,直ちに現場検証を行い,その責任原因を確認したときは,補償の措置を講ずるものとする。」と記載されている。
 したがって,昭和32年9月には,鹿瀬工場からの残滓及び汚濁水の排出が,水産動植物に有害な物を遺棄し,又は漏せつするおそれがあるものの放置に該当し,それが,魚介類の繁殖保護上害があるものであり,そのことを被告新潟県は知っていた。しかし,被告新潟県は,上記の覚書を交わしたほかは,調整規則21条に基づく措置を執らなかった。そして,この懈怠が,次に述べる昭和34年1月の廃棄物捨て場の決壊につながることになった。

(3) 昭和34年1月2日の廃棄物捨て場の決壊
 鹿瀬工場には,周辺10ヶ所に合計37万㎥の産業廃棄物堆積場があった(甲A5号証,阿賀野の流れに15頁)。
昭和34年1月2日午後11時40分ころ,鹿瀬工場裏山にあるカーバイドかすなどの廃棄物捨て場が突然決壊し,汚毒物を含むヘドロ約3万トンが120メートルのがけをつたって流れ下った。この廃棄物捨て場はもともとは谷状のくぼ地で,工場のどろどろしたカーバイドかすを流し込んでいたところ,満杯になってきたので外側をカーバイドかすで固めて壁を作り,再び堤の内部にカーバイドかすなどの廃棄物を投棄していた場所であった。折からの雨や雪でカーバイドかすで固めた外壁がゆるみ,一気に決壊した。
 ヘドロは敷地内の鉄道引き込み線,工場,送電線などを破壊し,さらに工場外の社宅,民家,鹿瀬駅構内の線路を埋めた。町中総動員で1週間かけてヘドロを川に投げ込み,その結果,ヘドロは阿賀野川の流れを真っ白に変え,鹿瀬町から河口にいたる阿賀野川に生息する魚のほとんどを死滅させた。河口では張っていた網に死んだ魚が大量にかかり,網ごと海に流された。浮いた魚は660トンと推定されている(甲A5号証,阿賀野の流れに16頁)。
 このため津川署(新潟県警察)では,津川保健所に魚類が有毒かどうか検査を依頼するとともに沿岸各警察署へ「死んで浮んだ魚は食べないよう」警告を要望する手配を出した。(甲A6号証,新潟日報昭和34年1月4日の記事)。
 また,このときラジオで「死んだ魚は食べないように」との放送があったが,その後「はらわたさえ出せば食べても良い」と修正され,流域住民は大量の魚をリヤカーなどで運んで食べていた(甲A5号証,阿賀の流れに16頁)。

(4) 昭和34年4月25日の覚書
 漁協協議会は,上記廃棄物捨て場の決壊により,阿賀野川に流れ込んだ毒水のため魚が全滅した被害について,被告昭和電工に対し,補償要求をした(甲A7号証,読売新聞昭和34年1月22日の記事)。
 昭和34年4月25日,被告昭和電工と漁協協議会,新潟市大形地区漁業協同組合,松浜内水面漁業協同組合,濁川漁業協同組合,下条漁業協同組合及び大江山村漁業協同組合との間で,上記補償要求について,覚書が交換されている(甲A8号証,覚書)。被告昭和電工は,上記覚書により,漁族被害等補償金として2400万円を支払うこととなった。また,上記覚書第二項には,「昭和電工鹿瀬工場は,昭和32年9月25日付覚書の第二,第三項については誠意をもってこれが解決に当たるものとする。」と記載されている。したがって,覚書が交わされた当時,鹿瀬工場の残滓並びに汚濁水の処理については被害の虞なきよう適切な措置を講ずることが要請されていた。
 上記覚書は,被告新潟県が仲介に入って妥結したものであり,新潟県副知事が,覚書の立会人となっている。
 このように昭和34年4月当時,鹿瀬工場の残滓の放置や汚濁水の排出,廃棄物の流出は,調整規則21条1項の水産動植物に有害な物の遺棄,又は漏せつするおそれがあるものの放置に該当し,同条2項の水産動植物の繁殖保護上害があると認められる場合に該当していた。
 そして,廃棄物捨て場の決壊時に,新潟県警察津川警察署(被告新潟県の機関である)が「死んで浮んだ魚は食べないよう」と手配したり,ラジオでも食べないようにとの放送があったことからすれば,鹿瀬工場の残滓の放置や汚濁水の排出,廃棄物の流出により,阿賀野川の魚介類を摂取する住民の健康に重大な被害が生じうる状況にあった。また,後記(5)の事情も考慮すると被告新潟県は,遅くとも昭和34年11月末までには,そのことを認識できる状況にあった。

(5) 熊本県水俣病発生と原因究明,国会での議論
 熊本県水俣市を中心とする水俣病の発生と原因究明の経過は,以下のとおりである。
ア 昭和31年5月1日,水俣保健所は,新日本窒素肥料株式会社(以下「新日窒」という。)水俣工場附属病院から奇病発生の報告を受け,調査した結果,昭和28年ころに既に同様の症状を呈する患者が発生しており,他にも多数の患者の存在が観察された。
 そこで,水俣保健所を中心に奇病対策委員会が設置されたが,同委員会は,同年8月,熊本大学医学部に調査研究を依頼し,同じころ,熊本県も原因究明を熊本大学長に正式に依頼した。
イ 同年8月24日,熊本大学医学部では,水俣病医学研究班(以下「熊大研究班」という。)を組織し,調査・研究を開始した。そして,同年11月4日,同研究班は,「この奇病(水俣病)は,ある種の重金属による中毒と考えられ,その中毒物質としてマンガンが最も疑われ,人体への侵入は主として水俣湾産魚介類によるものであろう。」との中間発表をした。
 この報告を受けた熊本県衛生部は,翌昭和32年2月26日「水俣湾の魚介類を摂食すると危険である」旨を発表し,現地の住民に対して行政指導をした。
ウ 昭和34年1月16日,厚生省は,水俣病の原因についての総合的研究を推進する目的で,厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会に,特別部会として水俣食中毒部会を発足させた。
エ 同年7月22日,熊大研究班は,「水俣病は現地水俣湾産の魚介類を摂取することによって惹起された神経系疾患で,魚介類を汚染している毒物としては,水銀が極めて注目される。」と報告し,この結果は,翌23日に報道された(以上につき,新潟地裁昭和46年9月29日判決(水俣病第1次訴訟第一審判決)判例時報642号117頁〜118頁,新潟地裁平成4年3月31日判決(水俣病第2次訴訟第一審判決)判例時報1422号45頁)。
オ 同年10月21日,通商産業省(以下「通産省」という。)は,新日窒に対し,ア)アセトアルデヒド製造工程からの排水の水俣川河口への放出中止,イ)排水浄化装置の年内完成を指示した(甲A1号証,45頁新潟水俣病関係年表)。
カ 同年11月12日,食品衛生調査会は,水俣食中毒部会での中間報告を基に水俣食中毒の原因について同日付けで厚生大臣に対して答申を行った。答申の結論は,「水俣病は,水俣湾及びその周辺に生息する魚介類を多量に摂食することによって起こる主として中枢神経系統の障害される中毒性疾患であり,その主因をなすものはある種の有機水銀化合物である。」というものであった(新潟地裁平成4年3月31日判決(水俣病第2次訴訟第一審判決)判例時報1422号45頁〜46頁)。
キ 通産省は,同年10月末から11月にかけて,厚生省公衆衛生局長,水産庁長官等から,親日水俣工場の排水に対して適切な処置を至急講ずるよう求める旨の要望を受けたので,親日窒の社長あてに文書を送付して,一刻も早く排水処理施設を完備することなどを求めた(最高裁第二小法廷平成16年10月15日判決(水俣病関西訴訟上告審判決),判例時報1876号8頁)。

ク 国会での議論
(ア) 上記の熊本県での水俣病の発生,原因究明の経過については,昭和32年3月7日の参議院社会労働委員会(甲A9号証,第26回参議院社会労働委員会会議録第6号,8頁〜16頁),同年9月12日の同委員会(甲A10号証,第26回参議院社会労働委員会(第26回国会継続)会議録第6号,8頁〜12頁),同33年6月24日の同委員会(甲A11号証,第29回参議院社会労働委員会会議録第2号,18頁〜29頁),同年10月16日の衆議院社会労働委員会(甲A12号証,第34回国会衆議院社会労働委員会会議録第7号,10頁〜11頁)において水俣病が社会的な問題として取り上げられ質疑答弁が行われている。
(イ) 昭和34年10月22日,衆議院農林水産委員会において,福永一臣委員が質問の中で以下の発言をしている。
 「水俣には御承知の通り水俣湾に臨んで新日本窒素肥料株式会社の工場がございまして,その工場から出てくるところの工場排水が原因であるというのが実は一般の常識になっておるのであります。」,「それから,一つには工場の監督を強化してもらって,そうして,この原因の究明ができないから工場の監督をゆるがせにするとかほったらかすということではなくて,監督官庁はこれに対してまして一つ強い監督をしてもらう。」(甲A13号証,第32回国会衆議院農林水産委員会議録第17号7頁3段目〜4段目)
 また,福永委員は,「新日本窒素肥料株式会社の監督の衝に当たられる通産省としてそういう事実を知っておられるかどうかを伺いたい」と質問している。この質問に対し,通産省の藤岡説明員は,知っているかどうかについては,「新聞雑誌等にもありますように相当広範囲に流布されており,現地から報告等も参って」いる(同議事録9頁4段目)と答弁している。そして,高田説明員は,「一応工業用水も危険であると考え,」,「できるだけこの水からは考えられる害物が出ないようにしたいという指導をしております。」と答弁している(同頁5段目)。
 さらに,川村継義委員は,全国の新日窒のような工場数を質問し,高田説明員は,水銀を使うのは,アセトアルデヒドを生産する段階と塩化ビニールモノマーを作るときの段階で,全国で,アセトアルデヒドを生産する工場は7工場,塩化ビニール関係は14工場あると答弁している(同13頁5段目)。
(ウ)  昭和34年11月19日,参議院社会労働委員会において,通産省の藤岡大信説明員は,水銀を使っている全国の工場にわたって大体の調査をしたところ,汚水処理の段階はあまり変わっていないようであると答弁している(甲A14号証,第33回国会参議院社会労働委員会会議録第3号3頁3段目)。さらに藤岡説明員は,新日本窒素肥料株式会社に対し,上記「オ」の指示をし,上記「キ」の文書を送付したことを答弁している(同4頁1〜2段目)。
ケ 新潟県知事は,他県での出来事とはいえ,水俣病が社会的な問題となっており,上記のとおり国会でも議論されていることから,親日窒の工場排水により,水俣湾又はその周辺海域の魚介類を摂取した住民の生命,健康等に対する深刻かつ重大な被害が生じていることを,行政の長として当然熟知していたはずである。

(6) 水俣病の発生,拡大
 阿賀野川では,昭和34年の上記廃棄物捨て場の決壊後,2〜3年は魚がまったく見えなくなったが,支流に逃げた魚が本流に戻ってきて増え,昭和38年,39年は大漁であった(甲A5号証,阿賀野の流れに16頁)。
 被告昭和電工鹿瀬工場は,昭和34年ころからアセトアルデヒドの生産量を急激に増加させており,それに伴い阿賀野川へ排出されたメチル水銀の量も年々増加していったと考えられる。同工場のアセトアルデヒドの年生産量は,昭和39年がピークで,昭和32年の約3倍,同34年の約2倍と急増している,(甲A1号証,新潟水俣病のあらまし,14頁)。
 低棲魚のニゴイ等が成魚となるには3〜5年の期間を要し,昭和37年〜40年にかけて多くの沿岸住民が,体内に有機水銀を濃縮し成魚となったニゴイ等を喫食することになった。
 当時の新潟県知事が,遅くとも昭和34年12月までに調整規則21条に基づく規制権限を行使して,被告昭和電工に対し,鹿瀬工場の排水や廃棄物について有害な物の除害設備の設置又は既にある除害設備の変更を命じていれば,原告ら阿賀野川流域住民のその後の水俣病による健康被害の発生,拡大,悪化を防止することができた。

(7) まとめ
ア 以上の事情によれば,遅くとも昭和34年11月末までには,鹿瀬工場の排水及び残滓の放置は,調整規則21条1項の「水産動植物に有害な物の遺棄,又は漏せつするおそれがあるものの放置」に該当しており,同条2項の「水産動植物の繁殖保護上害があると認められる場合」に該当していた。新潟県知事は,そのことを認識していた。
イ さらに遅くとも同月末までには,鹿瀬工場の排水及び残滓の放置により,阿賀野川の魚介類を摂取する住民の生命,健康等に対する深刻かつ重大な被害が生じうる状況が生じていた。そして,上記(3)の廃棄物捨て場決壊の際の津川警察の対応などや,(5)の熊本県における水俣病の発生と原因究明の状況を合わせると,新潟県知事(当時)は,鹿瀬工場の排水及び残滓の放置により,阿賀野川の魚介類を摂取する住民の生命,健康等に対する深刻かつ重大な被害が生じうることを認識できる状況にあった。
ウ また,新潟県知事において,調整規則21条に基づく規制権限を行使して,被告昭和電工に対し,排水や廃棄物について有害な物の除害設備の設置又は既にある除害設備の変更を命ずるために期間を要するとしても,遅くとも昭和34年12月末までには,調整規則21条に基づく規制権限を行使することは可能であった。しかも,阿賀野川の魚介類を摂取する住民の生命や健康に与える被害の重大さにかんがみると,直ちにこの権限を行使すべき状況にあった。
エ したがって,新潟県知事には,遅くとも昭和34年12月末までに調整規則21条に基づく規制権限を行使すべき作為義務があり,この義務を怠ったことは,不作為による違法行為に該当する。そして,当時の新潟県知事は,このような違法行為を容易に避けることができたのだから,規制権限を行使しなかった過失があった。
オ 遅くとも昭和34年12月末までに,新潟県知事がこの規制権限を行使していれば,原告ら阿賀野川流域住民について,その後の水俣病の発生,拡大及び健康被害の悪化を防止することができた。

3 結論
 よって,新潟県知事が,昭和35年1月以降,調整規則21条に基づく規制この権限を行使しなかったことは,調整規則の趣旨,目的や,その権限の性質等に照らし,具体的事情の下において,著しく合理性を欠くものである。被告新潟県は,昭和35年1月以降に阿賀野川の魚介類を摂食して水俣病に罹患し又は健康被害が悪化した原告らに対して,国家賠償法1条1項による損害賠償責任を負う。

メディア宛てお知らせ

2008/05/07
司法記者クラブ各位     様

〒951-8061 新潟市中央区西堀通七番町1551−2 ホワイトプラザ西堀2階
新潟水俣病第三次訴訟弁護団
                      弁護士 高島 章
Tel(025)229-3902
Fax(025)229-4316

お知らせ

1 明5月8日午前11時より,水俣病第三次訴訟の第1回口頭弁論が開かれます。
2 明日の弁論は,第1陣12名に関する手続であり,第2陣の弁論は開かれません(正式な併合決定がまだされていないため)。
3 明日の行動予定
(1) 10時過ぎに関係者が集合
(2) 10時40分ころ いわゆる入廷行動(10時50分には法廷入り)
(3) 訴状・答弁書各陳述,弁護団長からの口頭意見陳述
(4) 11時30分過ぎ 弁護士会館2階で記者会見
4 なお,当職はこれから所用で出かけますので,個別取材(電話・面談)には応じかねます。

意見書

平成19年(ワ)第279号 

原 告 XXXXXXXXX

被 告 昭和電工株式会社

意見書

2008年5月8日

新潟地方裁判所第2民事部 合議係 御中

原告ら訴訟代理人 弁護士 高島 章


第1回弁論期日に当たり,口頭で若干意見を申し上げます。

第1 迅速な裁判?

 本件訴訟を提起した(裁判所に訴状を提出した)のは,2007年4月26日です。そして,第1回口頭弁論が今日であります。どんな大きな訴訟でも1年以上弁論期日を待たされるという事態は,見たことも聞いたこともありません。

 もちろん,新潟地裁にも責任の一端はありますが,今日はその点は触れません。

 ここまで訴訟を遅滞させた一番の責任者は,被告国,具体的には,法務省です。

 最近法務省は,裁判員に関し「判決は3日程度の審理で迅速に言い渡されます」などとしきりにPRしていますが,国家賠償事件・公害事件は迅速でなくて良いのでしょうか?

 そもそも,訴訟救助に対する不服申立(抗告)など,誰にも実益がないものです。抗告がとおることで,法務省の歳入が増えるのならまだ話は分かりますが,そういうことはない。何の目的で抗告したのか,法務省自身,恐らく国民に説明できないことでしょう。「裁判遅滞が目的の抗告」などと言うつもりはありませんが,共同被告新潟県昭和電工もやらないような抗告をするなど,「迅速な裁判」の実現の一端を担うべき官庁がやるべきことではありません。

 今後は,被告国におかれても迅速な裁判に協力されるよう,切に要請します。

第2 救済?という言葉

 救済という言葉を辞書で調べてみると,以下のような解説があります。

きゅう‐さい【救済】

[名]スル1 苦しむ人を救い助けること。「難民を―する」2 神や仏の側からさしのべられる救い。キリスト教では、人間を罪や悪から解放し、真実の幸福を与えること。救い。

 水俣病「救済」とか,患者「救済」いう言葉がよく使われます。しかし,これは正しい日本語でしょうか?

 水俣病「救済」という言葉を聞くと,昭電や国は救済主(神仏)で,水俣病患者は罪人なのか,水俣病は罪業がもたらした報いなのか,昭電や国は,「義務」ではなく一方的な恩恵で(本来救われる権利のない)水俣病患者を救うのか,と考えてしまいます。

 「救済」という言葉は,法的権利義務関係を曖昧にしてしまうものでもあります。昭電と国は,不法行為に基づき被害者に損害賠償義務を負担しており,被害者は,加害者たる昭電と国に対して,損害賠償を求める権利がある。「救済」という言葉は,この関係を曖昧にします。この言葉は,誰が加害者で誰が被害者で,いくらの金額が賠償額として相当なのかという「法的思考」とは無縁です。

 ですから,私は,水俣病問題に関しては「正当な補償」という言葉を務めて使うようにしています(本当は「補償」という言葉にも問題があり,「正当な賠償」というべきなのでしょう)。

 この訴訟は,「曖昧な救済」なるものでなく,加害企業責任・国家賠償責任の履行,言い換えれば法的責任の明確化を求め,あらゆる公害を根絶し,水俣病患者への正当な補償を求めるものです。


第3 被告昭電の主張

 各被告の答弁書に対する反論は,準備書面で明らかとしますが,被告昭電の主張についてだけ触れておきます。被告昭電は,答弁書において,除斥期間の主張をしています。到底許されるものではありません。

 昭和48年の補償協定において,被告昭電(取締役社長 鈴木治雄(はるお)氏)は,

 加害者としての責任を果たすため、過去、現在および将来にわたる被害者の健康と生活上全損害をその生涯にわたり償いつづける

 と明確に約束しているのです。

 除斥期間の主張は,この協定を反故にするものであって,信義に反するものであります。鈴木治雄氏は「迷った時には、10年後にその判断がどう評価されるか、10年前ならどう受け入れられたかを考えてみればよい。」という名言を残されたと聞いています。

 被告昭電幹部は,今からでも遅くはないから,鈴木治雄氏の墓に詣でその御霊にお詫びをし,この主張を撤回すべきです。

第4 県を訴えたこと

 この第三次訴訟では新潟県を被告として訴えました。この点については,様々な評価・批判があることは承知しています。提訴前も提訴後も弁護団や関係者の間で様々な議論がありました。

 説明するまでもないことですが,原告らは,現在の新潟県・泉田知事・水俣病関係の職員を責めるために県を提訴したのではないのです。泉田知事・県職員・懇談会のメンバー等の水俣病問題解決のための努力に対し,一定の敬意を表することにやぶさかではありません。

 私たちは,水俣病発生・拡大を防止できたのにそうしなかった当時の新潟県の責任を法的に明らかにするために提訴したものです。法廷においては,原告・被告として厳しく対決することにはなりますが,裁判所という「国家のサービス」を通じて,当時の県に何ができ,何ができなかったのか歴史的真実を明らかにしていきたい。そのような意味で,新潟県は,対立当事者であると同時に事案の真相を明らかにするという点では,共同作業をすることになるのです。

第5 提訴に至る背景

 私は,1992年,弁護士登録と同時に新潟水俣病第2次弁護団に加入し,現在でも同弁護団の団員です。

 2次訴訟の第1審判決(1992年3月31日)のころ,私は,新潟地方裁判所民事部裁判官室で裁判修習を受けており,内部事情もある程度垣間見ることができました。

 この判決は,昭和電工により控訴され,1995年,村山内閣の主導によりいわゆる「政治決着」が図られました。解決金の額は260万円でした。その当時の情勢に鑑みれば,「苦渋の決断」と言うより他ないものだったかも知れません。

 この決断を「現在」という高見に立って批判することは容易いことかも知れません。しかし,水俣病関西訴訟の「最高裁判決」は村山内閣の時代には予想だにできないことだったと思います。

 この判決は,水俣病の歴史に大きな転機を与えました。2004年10月15日,最高裁はこれまでの行政認定基準を否定し,水俣病の患者さんに一人あたり約850万円の損害賠償を「国」と「チッソ」に命じたのです。

 この判決を機に,種々の事情で今まで声を上げられなかった人々が立ち上がり,九州では,1000人を超える方々が新たに訴訟を提起しました。

 このような経過で,当地新潟においても九州の動きと連動し,新潟県内における患者さんが第三次訴訟の原告となることとなりました。

 昨年から,政治や行政レベルでいろいろな動きがありました。いわゆる「与党プロジェクトチーム」による「第2の政治決着」を図ろうとする動きです。これに対する評価は様々ですが,私たち原告・弁護団から見れば,加害企業の法的責任・国の不作為に対する責任を明確にしないまま安上がりの決着を図るものであり,「お話しにならない」というしかありません。

 国(環境省)による行政認定基準(昭和52年制定)への固執や認定申請に対する長期間の放置,また,いわゆる政治解決が「お話しにならないレベル」である以上,水俣病の患者さんは,司法の場で解決を図るしかないのです。

2008年3月5日
司法記者クラブ 各位


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新潟水俣病第3次訴訟弁護団
弁護士 高島 章
Tel(025)229-3902
Fax(025)229-4316

ご連絡

 3月6日,新潟水俣病第3次訴訟の手続がありますので,お知らせします。

1 10時40分ころ 入廷行動(支援者,弁護団外10名程度)
2 弁論が1年近く開かれないことについて,抗議行動(裁判所事務局に抗議書を渡す)
 3 11時から原告・被告・裁判所で進行等に関する打ち合わせ(非公開)
3 記者会見(弁護士会本館2階)
出席者・弁護士数名・支援者の外,原告(新潟市内40代男性),第3陣訴訟準備中の患者(60代の女性)が記者会見に立ち会います。
4 取材に当たっては,患者さんのプライバシーに配慮されるようお願いします(顔貌等の撮影はご遠慮願います。)
5 当職は,これから出かけるので,電話取材は対応できません。