呼びかけ文

平成19年3月2日
弁護士       先生

〒951-8061 新潟市西堀通七番町1551−2 ホワイトプラザ西堀2階
                      弁護士 高島 章
Tel(025)229-3902
Fax(025)229-4316

新潟水俣病第3次訴訟について
(お願い)

拝啓 先生方におかれては,ご繁忙のことと存じます。

1 この「お願い」の文書は,比較的若手の方で,公害・人権問題について熱意をもたれているに違いない先生方にお送りするものです。
2 各種報道等でご承知のとおり,小職は,本年3月末日を目処として,新潟水俣病第3次訴訟を提起することになりました。昨年の秋ころから木戸病院名誉院長斉藤恒先生が小職事務所を来訪され,「新潟でも九州でもミナマタはまだ終わっていない」とのご教示を受け,小職自身,その間あれこれ考えましたが,先生の熱意に押され,このたびの決心に至ったものです。
3 私は,1992年,弁護士登録と同時に新潟水俣病第2次弁護団に加入し,現在でも同弁護団の団員です。
 その任に相応しい活動をしたかと問われれば,内心忸怩たる思いがあります。
 新婚間もないころ,妻と共に中村洋二郎先生,原告団長 故南熊三郎さん,高野秀夫さんに連れられて水俣市内の集会に参加した記憶は今でも鮮明です。昭和電工本社前での街宣活動,佐渡島(当時はいくつかの市町村に分かれていました)の自治体巡り・・・。
 熊三郎さんも,共闘会議議長 清野晴彦先生も亡くなってしまいました。
4 既に「歴史」になったのかも知れませんが,村山内閣(元最高裁長官 その当時 第二次訴訟控訴審裁判長 町田顕)が主導した新潟水俣病第2次訴訟のいわゆる「政治決着」は,その当時の情勢に鑑み,文字どおり「苦渋の決断」でした。この決断を「現在」という高見に立って批判することは容易いことかも知れません。しかし,歴史というものは,直線的に進行するものでも弁証法的に発展するものでもなく,たいていの場合「気まぐれ」にあえて比喩的に表現すれば「螺旋的」に動いていくものです。
 水俣病関西訴訟の「最高裁決着」は村山内閣の時代には予想だにできないことだったと思います。神か預言者でない限り・・・。
5 しかし,そうはいっても水俣病の歴史は大きな転機を迎えました。2004年10月15日,最高裁はこれまでの行政認定基準を否定し,水俣病の患者さんに一人あたり約850万円の損害賠償を「国」と「チッソ」に命じたのです。
この判決を機に,種々の事情で今まで声を上げられなかった人々が立ち上がり,九州では,1000人を超える方々が新たに訴訟を提起しました。
6 今年に入ってから,行政レベルにおいていろいろな動きがありました。しかし国(環境省)がこれまでの行政認定基準(昭和52年制定)を変更しない限り救済の希望はないと考えるほかありません。
7 当地新潟においても九州の動きと連動し,新潟県内における患者さん数名が第三次訴訟の原告となることとなりました。原告の居住地区・年代は様々です。今後,相当数の患者さんが原告に加わることも予想されます。
8 日常業務に追いまくられており,小職一人の力では,とてもこの訴訟の代理人の職務を果たせません。そこで,まことに厚かましいことですが,諸先生のご助力を仰ぐ次第です。弁護士費用として如何ほどの金額がお支払いできるか分かりかねる状況であり,訴訟においては,時効・除斥期間等の種々の難問が立ちふさがっています。
 9 原告希望者との集会
6−8名の原告予定者との集会があります。
 日時:本年3月4日(日曜日)午後3時
 場所:新潟市津島屋「新潟水俣病被災者の会」会館(参加していただける先生は小職が送迎します)。